「信じる」

アブラハムさんは、神様に導かれ、祝福するという約束が与えられました。しかし、アブラハムさんには一つ心配なことがありました。

それは、アブラハムさんには子どもが与えられていなかったということでした。しかも、アブラハムさんは旅に出た時に75歳という年齢に達していました。

そんなアブラハムさんは神様に対し、子どもがいない自分はどのように祝福されるのでしょうかと問います。そして、アブラハムさんは養子をもらって後継ぎにしようとしていることを神様に告げました。

すると神様はこのように言われました。

「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」(聖書 創世記15:4 新共同訳)

神様は、高齢となっても子どもが与えられていなかったアブラハムさんに対して、あなたと奥さんの間から生まれる子どもがあなたの跡を継ぐんだよと言われました。

とても信じがたい言葉だったかもしれません。もしかすると、そんなことはあり得ない。もう無理だ。そう言って神様に背を向けていてもおかしくなかったかもしれません。

しかし、アブラハムさんは違いました。彼はその神様の言葉に対してこのように向き合いました。

「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」(聖書 創世記15:6 新共同訳)

まだ実現していないこと、見ていないことを信じること。これが、アブラハムさんの信仰でした。

聖書には神様の約束が沢山書かれています。それは、実際にはまだ目に見えないかもしれません。しかし、神様は私たちに対し、それでも約束を信じてほしいと願っておられます。