「羊を飼う理由」

ついに、長い間死んだと思っていた愛する息子と再会する時を迎えた父ヤコブさんは、あまりの嬉しさにこう言いました。

イスラエルはヨセフに言った。「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。」(聖書 創世記 46:30 新共同訳)

 いつ自分の寿命が尽きたとしても、もう何も悔いはないというような心の表れだったと思います。

 それほどまでに、ヤコブさんにとっては大きな出来事でした。憎み合っていた兄弟が助け合い、恨みを抱くこともなく許しあっている。長年かかって、やっと家族らしい交わりを持つことができるようになった瞬間でした。

 そんな家族にヨセフさんはある指示を出しました。

ですから、ファラオがあなたたちをお召しになって、『仕事は何か』と言われたら、『あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、幼い時から今日まで家畜の群れを飼う者でございます』と答えてください。そうすれば、あなたたちはゴシェンの地域に住むことができるでしょう。」 羊飼いはすべて、エジプト人のいとうものであったのである。

(聖書 創世記 46:33-34 新共同訳)

 今からファラオと会うにあたり、職業を尋ねられたら羊飼いと返事をするようにという指示でした。

 実は、これが今後の彼らの人生や信仰生活を大きく左右するものとなっていきました。エジプトにはエジプトの文化があり、宗教があります。アブラハム、イサク、ヤコブの神を信じ礼拝するこの家族にとって、エジプトの地は大きな誘惑となる場所でもありました。このままエジプトで暮らすことは信仰生活に影響を及ぼすことになります。

 しかし、職業を羊飼いと答えることで、エジプト人とは一線引いた生活をすることが可能でした。理由は、羊飼いというのがエジプト人からは避けられていた職業だったからです。

 そのような仕事をする彼らが暮らす地域にわざわざ入り込んでくるエジプト人はいません。そのことを通して、イスラエル民族はのびのびと暮らすことができるのでした。

 結果的に、それが彼らの繁栄につながり、信仰を保っていくための大切な保護となっていたのでした。

 神様は、このエジプトの地で彼らを特別に保護することで、神様の民を守られ、その数を確実に増やしていかれたのでした。