月別アーカイブ: 2019年4月

中心にイエス様

今週は、八王子教会にて1週間を通して春の祈祷週の時間を持ちました。『アドベンチストの信仰の原点2』という読み物を通して、私たちセブンスデー・アドベンチストがどのような信仰を持つ教会なのかを学ぶ機会が与えられました。

①イエスはなぜ死なれたのか、②福音を知らせる、③キリストにある1つの民、④聖霊、⑤創造の不思議、⑥愛の契約、⑦聖餐式、⑧再臨、という8つのトピックについて学ぶことができました。

教会での集会、また、それぞれの場所において祈りと学びの時を過ごされたことと思います。

初日、教会で行う集会は3人でスタートした祈祷週でした。平日の午前中ということで、参加することができる方は限られてしまう時間帯だったわけですが、毎日1~2ずつ人数が増えていき、集会室の丸いテーブルにビッシリ! そして、皆さんで讃美し、学び合い、お祈りをする時間を持つことができた祈祷週でした。

「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイによる福音書18:20 新共同訳)

この祈祷週中、素敵な夢を見ましたという報告を頂きました。祈祷会に人が溢れていて、1つのテーブルでは収まらないため、グループに分かれて聖書を読み祈る時間を持っていた。そんな夢だったそうです。想像しただけで嬉しくなりますね。

私たちには素敵な信仰の家族が与えられています。勿論、物理的、時間的な制限があり、実際に集まることは難しいことが多いです。しかし、私たちがどこにいても、イエス様の名のもとに集う時、イエス様は私たちの中にいてくださいます。そこはイエス様を中心とした素敵な讃美と祈りの時間となることでしょう。

この祈りの輪がどんどん広がっていきますように!

新たに力が与えられ

高尾山には、頂上を目指すにあたり幾つかのコースがあります。整備された道ではなく6号という自然の山道を登るコースで頂上を目指しました。

1時間かけて頂上にたどり着くと、沢山の人たちがお昼の休憩をしているとこ

ろでした。小学生の子どもたちが遠足か何かで来ていたようで、皆でお弁当を食べている姿も見られました。

お弁当を食べ終わった子たちが元気に走り回っている姿を見ながら、どこのコースを登って来たのだろうか。ケーブルカーで登って来たから元気なのかな。そんなことを考えながら山を降り始めました。

降り始めてすぐ、長い階段が待ち構えています。その階段をある程度降りたところで

、3人の御婦人がこんな会話をしていました。

「え、こんなに長い階段なの?」

「もうここで折り返しましょうか。。。」

「何言ってるのよ。せっかくここまで来たんだから。何のために頑張ったかわからなくなっちゃうじゃない。頑張りましょうよ」

協議の結果、御婦人たちは頑張って階段を登って行かれました。

「疲れた者に力を与え 勢いを失っている者に大きな力を与えられる。

若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが

主に望みをおく人は新たに力を得 鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」

(イザヤ書40章29~31節)

 

私たちの歩む道において、疲れたり、もう先に進むのをあきらめたくなってしまうことに直面することがあります。

しかし、神様はそんな私たちに「新たに力を与え」てくださると言っておられます。「走っても弱ることなく、歩いても疲れない」。それが、神様に望みをおく人の歩みです。

イエス様とお会いするその日まで、Uターンせずに歩み続けましょう。

 

 

心の目を覚ます

大学生時代、通学に中央線を使用していました。快速や青梅特快、休日運転など、知らないまま乗ってしまうと目的地を通り過ぎてしまうなんていうこともよくあります。4年も通えば何とか間違うことなく中央線を乗りこなすことができるようになっていきます。

先日、久しぶりに中央線に乗り、すいている車内でボーっと椅子に座って八王子を目指していました。「今、武蔵小金井だな」と確認をした後、更にボーっとしていると、電車のアナウンスで衝撃の事実を知りました。

アナウンス:「次は西荻窪」

私:「????」

数年間、電車に全く乗らない田舎暮らしをしていたこともあり、久々に中央線に乗って冷や汗をかきました。

何処行きの電車かも確認せず、ボーっと乗っていたため、八王子に着く前に折り返して東京へ進行方向を変えていたことに全く気がついていませんでした。

 

「だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。」(新約聖書 マタイによる福音書24:42 新共同訳)

 

私たちは、天に昇られたイエス様がもう一度戻って来られるのを待っています。聖書の中で、待っている人たちに対して1つのキーワードが投げかけられています。「目をさましていなさい」。いつ戻って来られるのかは誰にもわからない。そのイエス様を待つにあたり、しっかりと目を覚ましていなさい。聖書はそう私たちに言っています。ボーっと心の目を閉じたまま電車に乗って、終点から折り返してしまうような私にはとても大切な言葉だなと思いました。

目を覚まして、もう一度戻って来られるイエス様を心から待ち望みましょう。

わたしを究めておられる方

皆様、初めまして。伊藤滋牧師が北浦三育中学校へ赴任されるにあたり、皆様の御仲間に加えて頂くことになりました、堀圭佑(ほりけいすけ)と申します。

北浦三育教会で2年間御奉仕をさせて頂き、インターンを終え、この度牧師補として皆様のもとで御奉仕させて頂く機会が与えられました。

少しずつでも、自己紹介をさせて頂けたらと思っております。

生年月日:昭和63年4月17日(30歳)

昭和の終わり、そして平成の始まりに生を受けました。平成が続く限りは年齢を忘れても元号ですぐに確認できる!と思って過ごしてきましたが、それもあと数日だなと焦っている今日この頃です。

 

主よ、あなたはわたしを究め わたしを知っておられる。

あなたは、わたしの内臓を造り 母の胎内にわたしを組み立ててくださった。

胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている。

まだその一日も造られないうちから。

(旧約聖書 詩編139:1、13、16 新共同訳)

 

引越の荷物整理をしていると、普段開けないような段ボールの中にあるものに目を通し。断捨離を行うということが多々ありました。

その度に、「ああ、懐かしい」、「こんなものあったなあ」ということの連続です。

昔集めていた本やコレクション、学生時代に書いたレポート。その当時は必死に向き合っていたのだと思いますが、段ボールの中に眠り始めた途端に私の記憶から消え去っていたことに気がつきます。

神様は、私たちを造られました。私たちが誕生する前から私たち一人一人のことを「究め」、「知って」おられる方です。神様は、決して私たちを忘れ去ることはありません。

一人一人を愛し、大切に思い、そして今も支え導いてくださっています。

そんな神様と過ごせる創造の記念日に感謝ですね。