「水と空」

厳しい猛暑が続く中で、熱中症対策は欠かせません。エアコンの効いた部屋の中にいても、頭がクラっとすることがあります。水分補給は大切ですね。

また、自然の中でエアコンや扇風機がない時は、湖に飛び込みたくなります。太陽の日差しで真っ黒になりますが、湖にプカプカ浮かんでいるととても気持ちが良いです。勿論、そこでも水分補給は欠かせません。

「神は言われた。「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けさせられた。そのようになった。神は大空を天と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第二の日である。」(聖書 創世記1:6∼8 新共同訳)

神様は、この世界の初めに「造る」ということから始められました。1日目に光を造られた神様は、2日目に水と空を造られました。上を見上げると当たり前のように空がありますが、その当たり前のように広がる空も神様が造られたものでした。空ってどうやってつくるのだろうといつも不思議です。

そして、私たちの生活にとっても、また、身体にとっても絶対に欠かすことのできない「水」も神様が造られたものでした。

この猛暑の中で、神様が造られた「水」を身体にたっぷり補給して、熱中症や脱水症状にならないように頑張りましょう。

私たちの生活で欠かせない水を造ってくださった神様に感謝ですね。

「初めに」

キャンプにて、湖の桟橋から打ち上げ花火を行いました。キャンプ場の周辺は明りがほとんどない場所です。また、夜になり周囲のキャンプ場が消灯すると本当に静かな暗さが訪れます。

真っ暗な空と、その空をうつす湖の中に立っていると、水平線も含め上から下まで真っ暗闇で、見つめていると吸い込まれそうな世界が広まっています。

そんな暗闇の中で、打ち上げ花火を数発打ち上げました。私は桟橋で導火線に火をつけ、耳をふさぎながら急いで離れるというのを繰り返していたので、ほとんど見ることができませんでしたが、近隣のキャンプ場で夜空を眺めていた人たちが、花火を打ち上げる度に拍手をしていました。きっと、綺麗だったのだろうなと思います。

打ち上げながら、頑張って打ちあがる瞬間の写真を撮りました。暗闇に突然現れる光は、とても綺麗なものでした。

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。」

(聖書 創世記1:2∼3 新共同訳)

聖書の最初のページには、神様がこの世界を造った出来事が書かれています。神様がこの世界を造った時、まず初めに造ったのが光でした。何もない混沌とした所に突如現れた光。眩しいくらい明るいものだったと同時に、とても綺麗な光だったのではないかと思います。

「「光あれ。」こうして、光があった。」これが、神様が世界を造られた第1日目にされたことでした。

「はみ出ずに」

少し前の大掃除で、教会の駐車場に書かれた「来客用」という文字の黄色線と駐車場前の白線を塗りなおして頂き、消えかけていた線が綺麗に見えるようになりました。

そして、先日白線の横に文字を書いて頂き、完成しました。この白線を目印にしながら駐車することで、しっかりと駐車場の中に車を納めることができます。

「ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」

(聖書 ヨシュア記1:7∼8 新共同訳)

この聖書の言葉は、イスラエルの人々をエジプトから約束の地へと先導して来たモーセさんに代わって、その後継者ヨシュアさんが働きを始める時に神様から与えられた命令です。

神様は、多くの祝福を与え、ヨシュアさんと共に歩んでくださると約束されました。そして、その成功の秘訣として、「律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない」と言われました。

神様のみ言葉に忠実に従って行く歩みは、私たちの人生にとってもとても大切です。神様のみ言葉を「忠実に守り、右にも左にもそれず」に従っていくことができますように祈ってまいりましょう。そして、駐車場に車を停める際には、白線を目印に駐車をお願い致します。そうすれば、成功します。

「持っていなくても」

先週、我が家に3人の中学生男子を迎えてコーテット(男性四重唱)合宿を行いました。合宿ということで、朝から晩まで歌っているわけですが、やっぱり3食の食事は欠かせません。食べ盛りの年頃に加え、沢山声を出して歌うと体力も使いますしお腹もすきます。私は食べ盛りの時期はとっくに過ぎ去り、スーツのホックが閉まらないことに困惑している年頃ですが、一緒になって食べてしまいました。

今回は、それぞれのご家庭から沢山の差し入れを頂きました。三育フーズ食品や、北海道の新鮮なお野菜などが山ほど届きました。毎日のメニューを何にしようかと贅沢に悩みながら毎日を送りました。

夕食の準備をしていた時のことです。久々に4人分という量のお米を炊いて、お皿によそおうとした時に、“ある物”を持っていなかったことに気が付きました。

「あ、しゃもじを持っていなかった。」

「だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。進んで行う気持ちがあれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。」(聖書 コリントの信徒への手紙二8:11∼12 新共同訳)

私たちは、それぞれ神様から与えられているものがあります。時に、「自分はあれを持っていない。これも持っていない。だからできない。」と思ってしまうこともあります。

しかし、神様は、私たちに対して、「その持っていないものを何とか手に入れてきなさい」とは言われません。神様は、私たちが行おうとする時、持っているものに応じて受け入れてくださる方です。今与えられているものを持ってやり遂げましょう。

ただ、お米をよそうのはスプーンよりしゃもじの方がいいですね。

「思い続ける」

三育学院大学の看護宣誓式が行われました。宣誓式は、学生たちが病院の現場に出ての実習に入っていくにあたり、宣誓を行う式です。私は、三育学院大学の東京校舎でチャプレン(学校付牧師)として御奉仕させて頂いていることもあり、少しではありますが宣誓式のお手伝いをさせて頂く機会が与えられました。

三育学院で神学生だったころにも毎年看護宣誓式が行われていましたが

、準備の段階から関わることができたのは初めてのことでした。そして、リハーサルから本番まですぐ近くでこの式を見ることができました。

 練習の中で、ある先生が宣誓式とはどのような式なのかというお話をされていました。本来、自分の心の中で決心をすればそれですむものをわざわざ式という形で行うのは、これからの歩みにおいて様々なことがある中で、宣誓をしたということに立ち帰ることで仕切り直しをすることができるためだ、ということを話しておられました。

原点回帰をするということはとても大切なことなのだなと改めて考えさせられました。

「イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。」(聖書 テモテへの手紙二2:8∼9 新共同訳)

パウロさんは、福音を宣べ伝える者として生きるがゆえに、鎖につながれるような人生を送ります。しかし彼は、そんな時こそイエス・キリストのことを思い起こすようにと言っています。この「思い起こす」という言葉は、「いつも思っていなさい」という言葉にも訳されています。聖書は、人生の中でどんな時にあっても、いつもイエス・キリストを思い続けるようにと言っています。