「おうちに帰ろう」

「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住むところがたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(聖書 ヨハネによる福音書14:1∼3 新共同訳)

イエス様は、私たちに対して、「神様の家には住む場所は沢山あるから大丈夫!あなたを迎える準備をしに行ってくるよ!準備ができたら迎えに戻って来るからね!」と、約束してくださいました。

私たちには、住む場所が必要です。時として、住む場所を得ることができずに苦しんだり、大きな災害で住む家を失ってしまったりすることもあります。

しかし、イエス様が用意をしに行ってくださった父なる神様の家は、そのような不安にかられる心配はない場所です。そして、神様は、そこに行きたいと望む人を喜んで受け入れてくださいます。

イエス様は、私たちがそのおうちに帰るために、どの道を通ったら良いかを教えてくださいました。

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(聖書 ヨハネによる福音書14:6 新共同訳)

父なる神様のもとへ帰る道は、たった一つです。イエス様という道を通ること。これが、唯一の道です。

イエス様という道を通って、父なる神様のおられるおうちに帰りましょう。

「名前」

「主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。」(聖書 創世記2:8 新共同訳)

神様は、人間をエデンという名の園に置かれました。とても自然豊かで美しい場所だったことと思います。

神様は、このエデンの園において、人間に大切な役割を与えられました。

「主なる神は人を連れてきて、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。」(聖書 創世記2:15 新共同訳)

神様は、ただ人間をつくっただけではなく、人間に仕事を任せられました。

エデンの園に住み、そこを耕して守ること。これが、人間に与えられた役割でした。

また神様は、その中でとてもユニークな役割を与えられました。

「主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶかを見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。」(聖書 創世記2:19 新共同訳)

世界中の生き物がつくられた時、まだ名前がありませんでした。そこで、神様は人間を名付けの親として任命されました。

今は言語が沢山あるため、同じ牛でも表現の仕方が沢山あるわけですが。どのような観点で、どのような意味を込めて生き物たちに名前を付けていったのだろうと気になるところです。

神様は、御自分のつくられた極めて良い世界を、愛する人間に管理してもらいたいと願い、その役割を与えられました。当初と比べると恐ろしいほどに壊れてきてしまった世界ではありますが、神様は私たちに対しても同じ思いでおられます。

生き物や自然など、神様がつくられたものを大切にしていきましょう。

「今でも安息日」

神様は、6日間かけてこの世界の様々なものを造られました。光から始まり、水や陸地、草木や生き物を造り、人間が暮らすのに何不自由ない状態の世界が造られました。そして、全てを整えた後、愛する人間を造られました。

 

「天地万物は完成された。第七の日に、神はご自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。」 (聖書 創世記2:1∼3 新共同訳)

 

神様は、すべてのものを造られ、7日目に休みをとられました。勿論、神様は疲れることはありませんので、目的を持って休まれました。

それは、愛する人間と一緒に過ごすためでした。きっと神様は、この安息日をとても楽しみにしながら天地を創造されたのではないかと思います。

人間が造られて最初にむかえた日がこの安息日でした。神様の愛をたっぷり受けて過ごした1日だったと思います。

そして、この素敵な日は、今でも続いています。週の第7日目の土曜日、この日が、神様が人間と過ごされた安息日です。

残念ながら、今の世界は神様が世界を造られた当初の状態とは異なる状態に劣化してしまいました。しかし、安息日は変わりません。

週の第7日目に私たちと時間を過ごすことを神様は今でも楽しみにしておられます。

神様は、日々私たちと共にいてくださるお方です。その神様と、もっと深い交わりの時を持つことができる日が毎週備えられていることは本当に感謝なことです。

日々、思い煩いや重荷を負って歩んでいる私たちですが、この安息日、神様のもとへ行き、神様の与えてくださる安息日の平安に憩う体験をしてみましょう。

「日没に始まる」

寒くなったと思ったら、また暑くなる。体には厳しい寒暖の差が続いていますが、段々と日が沈むのが早くなってきた気がします。

日が沈むのが早くなると、なんだか一日が終るのが早くなってしまうように感じます。私たちは、1日に24時間という時間が与えられ、真夜中の0時をもって日付が変わるという時間の流れの中で生活をしています。人によっては、一日が24時間では足りないという方もおられるかもしれません。

神様が始めにこの世界を造られた時も、今私たちが暮らす時間の流れと同じように、1日24時間があり、その区切りの中で世界を造られました。

しかし、今の私たちの時間の流れとは少し異なるところがありました。それは、1日の始まりの時間です。

聖書には、神様が日毎に様々なものを造られたことを記録すると共に、それが何日目の出来事であったかも記録しています。そして、もうひとつ記されている言葉ありました。

「夕べがあり、朝があった」(聖書 創世記1章5、8、13、19、23、31節 新共同訳)

これは、聖書で1日を表現する言葉です。そして、この言葉が示す1日の始まりは、「夕べ」、つまり日没であることがわかります。

私たちは日没になると1日が終ってしまうという思いになりますが、聖書は、日没は1日の始まりだと言っています。

いつかの大晦日の夕方、きっと元旦の朝は起きられずに初日の出を見られないだろうと諦めていた心に、「夕べがあり、朝があった」という言葉が響き渡りました。

大晦日の日没、綺麗な夕日を眺めながら、1人で6時間以上早い新年を迎えたハッピーニューイヤーでした。

「我々に似せて」

テレビやインターネットで、動物たちの面白くも可愛い映像を目にします。何故、こんなに可愛いのだろうと思ってしまいますが、神様が造られたので可愛くて当たり前かもしれません。

「地は、それぞれの生き物を生み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに生み出せ。」(聖書 創世記1:24 新共同訳)

天地創造の第六日目に、神様は地の上で生活する生き物を造られました。どのような種類がいて、どのような大きさで、見た目だったのかは想像の範囲でしかありませんが、きっと愛らしい生き物ばかりだったのではないかと想像してしまいます。

そして、その同じ日に神様はそれらの生き物とは別に、特別な存在を造られました。

「神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」」(聖書 創世記1:26 新共同訳)

神様が造られた特別な存在。それが人でした。神様は、人を造るにあたり、モデルを用いられました。そのモデルとは、神様ご自身でした。

神様が造られたものの中で、人が特別であった理由は、神様をモデルにし、神様に似た者として造るという明確な意図があったからでした。

そして、神様は人を造る際にも特別な方法を用いられました。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(聖書 創世記2:7 新共同訳)

人は、神様が丹精込めて造られた特別な作品でした。神様は、私たち一人一人のことも同じように特別な存在として見てくださっています。