「必ず連れ戻す」

神様に行きなさいと言われて移住したエジプトの地において、ヤコブさんは多くの祝福を受けました。

イスラエルは、エジプトの国、ゴシェンの地域に住み、そこに土地を得て、子を産み、大いに数を増した。ヤコブは、エジプトの国で十七年生きた。ヤコブの生涯は百四十七年であった。 (聖書 創世記 47:27-28 新共同訳)

 失ったと思っていた愛する息子との再会、そして、更には飢饉という状況においても神様の守りの中でどんどん繁栄していきました。

 しかし、ヤコブさんも年老いてこの世での歩みも終わりが見えてきました。

イスラエルは死ぬ日が近づいたとき、息子ヨセフを呼び寄せて言った。「もし、お前がわたしの願いを聞いてくれるなら、お前の手をわたしの腿の間に入れ、わたしのために慈しみとまことをもって実行すると、誓ってほしい。どうか、わたしをこのエジプトには葬らないでくれ。わたしが先祖たちと共に眠りについたなら、わたしをエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってほしい。」 ヨセフが、「必ず、おっしゃるとおりにいたします」と答えると、「では、誓ってくれ」と言ったので、ヨセフは誓った。イスラエルは、寝台の枕もとで感謝を表した。(聖書 創世記 47:29-31 新共同訳)

 ヤコブさんの遺言は、自分が死んだらエジプトの地ではなく、先祖と同じ場所に葬ってほしいというものでした。このお願いに対し、ヨセフさんは快く誓いをたてました。

ヤコブさんが神様からエジプトの地に行くようにと言われた時、神様はこんな約束をしておられました。

神は言われた。 「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。 わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」 (聖書 創世記 46:3-4 新共同訳)

 神様は、この子孫の繁栄と必ず連れ戻すという約束をしっかりと実現させてくださいました。

 神様は、今罪の世の中で生きてる私たちに対し、天の御国を用意してくださっています。キリストの十字架を信じ受け入れる人は、必ずそこに連れ戻して下さると約束してくださっています。

「安全な方法」

飢饉の中、ヨセフさんの政策により家畜と引き換えに食糧を得たエジプトの人々でしたが、それでも困難な状況は続いていました。

その年も終わり、次の年になると、人々はまたヨセフのところに来て、言った。「御主君には、何もかも隠さずに申し上げます。銀はすっかりなくなり、家畜の群れも御主君のものとなって、御覧のように残っているのは、わたしどもの体と農地だけです。どうしてあなたさまの前で、わたしどもと農地が滅んでしまってよいでしょうか。食糧と引き換えに、わたしどもと土地を買い上げてください。わたしどもは農地とともに、ファラオの奴隷になります。種をお与えください。そうすれば、わたしどもは死なずに生きることができ、農地も荒れ果てないでしょう。」(聖書 創世記 47:18-19 新共同訳)

 このままでは生活していくことができないと感じた人々は、それぞれ持っている農地とそこで働く農奴として買い取ってほしいと申し出ました。

 これまで通り普通に農家をやりながら飢饉で苦しむよりは、ファラオの支配下におかれつつも飢饉の中でも食べていくことができるほうがよいと考えたのでした。

 ヨセフさんは彼らの申し出を受け入れ、農地をその所有者ごと買い取りました。そこで、ヨセフさんはルールを決めました。

ヨセフは民に言った。「よいか、お前たちは今日、農地とともにファラオに買い取られたのだ。さあ、ここに種があるから、畑に蒔きなさい。 収穫の時には、五分の一をファラオに納め、五分の四はお前たちのものとするがよい。それを畑に蒔く種にしたり、お前たちや家族の者の食糧とし、子供たちの食糧としなさい。」 彼らは言った。「あなたさまはわたしどもの命の恩人です。御主君の御好意によって、わたしどもはファラオの奴隷にさせていただきます。」 (聖書 創世記 47:23-25 新共同訳)

 奴隷と聞くと、なんだか良くない印象を受けますが、この人たちにとってその買い取ってくれた所有者は命の恩人となりました。

 私たちは、イエス様の十字架によって代価を払って買い取られました。そして、私たちは、私たちを創造し、命を与えてくださり、生かしてくださっている私たちの所有者である神様に収入の十分の一をお返しします。

 私たちの永遠の命の恩人である神様に感謝をし、預かったものを大切に生きていける人生は、とても素敵な人生ですね。

「更なる飢饉」

長い間離れていたヨセフさんと兄弟家族は無事に再会を果たし、みんなでエジプトの地に移り住むことができました。

 この再会のきっかけとなった出来事は、王様が夢でお告げを受けた大きな飢饉というものでした。

 ヨセフさんの政策によってこの飢饉を乗り切っていたエジプトの国でありましたが、やはりこの飢饉はとても大きなものでした。

飢饉が極めて激しく、世界中に食糧がなくなった。エジプトの国でも、カナン地方でも、人々は飢饉のために苦しみあえいだ。(創世記 47:13 新共同訳)

飢饉に直面することで、経済的にも難しい状況が生まれます。そこで、エジプトの人たちからこんな声があがりました。

 エジプトの国にもカナン地方にも、銀が尽き果てると、エジプト人は皆、ヨセフのところにやって来て、「食べる物をください。あなたさまは、わたしどもを見殺しになさるおつもりですか。銀はなくなってしまいました」と言った。

(創世記 47:15 新共同訳)

このような大変な状況においても、神様に知恵を頂いたヨセフさんの政策はとても賢いものでした。

ヨセフは答えた。「家畜を連れて来なさい。もし銀がなくなったのなら、家畜と引き換えに与えよう。」

(創世記 47:16 新共同訳)

家畜という大切な財産まで手放さなければならないのかという一見酷な条件に思えてしまう提案でしたが、この後エジプトの人々がこの提案に従ってヨセフさんのところへ家畜を連れて来たということを考えると決して酷な条件ではなかったということがわかります。

 ヨセフさんは、国の指導者としてこの困難な状況において、誰かが得をして誰かが損をするという政策ではなく、国も国民も互いに助け合い、利益を得ていくことができるような政策を進めていきました。

神様から知恵を頂きながら物事を進めていくことの大切さをヨセフさんを通して学ぶことができる局面でした。

「父の信仰」

ヨセフさんは、ファラオとの会見を通して、「羊飼い」というキーワードを用いることで兄弟家族の信仰生活を守る道を備えました。

 兄弟たちとファラオの挨拶も無事に済むと、今度は自分の父親をファラオに紹介することとなりました。

 ファラオとしても、自分の夢を解き明かし、このエジプトの国をここまで導いてくれたヨセフという人物の父親ですので、是非会いたいと思っていたのではないかと思います。

 ヤコブさんとファラオのやりとりはこうでした。

ファラオが、「あなたは何歳におなりですか」とヤコブに語りかけると、ヤコブはファラオに答えた。「わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」

(聖書 創世記 47:8-9 新共同訳)

 ヤコブさんは130歳という年齢になっていましたが、自分の先祖たちに比べるとまだまだ短いと謙虚な姿勢であるとともに、その年齢になって住み慣れた場所を離れてエジプトの国に移り住むというのは相当な決心だったのではないかと思います。

 しかし、ヤコブさんは、人生を旅路だと言っているように、この世に安住の地を求めるのではなく、神様が備えてくださる御国を目指して歩むという確かな信仰を持っていました。それが、この年齢にして旅立つことができた大きな理由だったのではないかと思います。

 そんな謙虚な受け答えをしたヤコブさんでしたが、ファラオと会った際にこんなことをしていました。

 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた。(聖書 創世記 47:7 新共同訳)

ファラオに対して述べた祝福の言葉というのは、「王様、あなたは素晴らしいです」といおうものではありませんでした。そうではなく、ファラオよりも偉大な天におられる神様を信じ、従う者として、天来の祝福の言葉を述べたのでした。

このように、短いやりとりの中でしたが、終始自分の信仰を示し続けた130歳のヤコブさんでした。

「質問の答え」

 兄弟たちが家族を連れてエジプトへとやって来たことを報告するために、ヨセフさんはファラオのもとへ行きました。

 その際に、兄弟の中から数人選び、挨拶のために一緒にファラオのもとへ連れて行きました。すると、ヨセフさんが兄弟たちに伝えておいた通りの質問が待ち受けていました。

ファラオはヨセフの兄弟たちに言った。「お前たちの仕事は何か。」 兄弟たちが、「あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、羊飼いでございます」と答え、更に続けてファラオに言った。「わたしどもはこの国に寄留させていただきたいと思って、参りました。カナン地方は飢饉がひどく、僕たちの羊を飼うための牧草がありません。僕たちをゴシェンの地に住まわせてください。」  (聖書 創世記 47:34 新共同訳)

 ファラオからの質問は、「仕事は何か」というものでした。これに対しては、羊飼いと答えるようにと事前の打ち合わせで伝えてありましたので、その質問をされた兄弟たちはしっかりと予定通りの応答をしました。

 ここには大きな誘惑がありました。エジプトの国を任せているヨセフさんの兄弟たちですから、ファラオとしても兄弟たちに対してそれなりの地位を与えようと考えていたことと思います。

 また、そのような地位をもらえるとなれば、目がくらむことがあったかもしれません。もしそのような流れになってしまったとしたら、この家族はエジプトという異教の文化の中に取り込まれてしまうことになっていたかもしれません。結果、神様を礼拝する者としての忠実な歩みが困難になってしまう恐れがありました。

 しかし、神様はヨセフさんを通して兄弟たちに「羊飼い」と答えさせることで、その危険から守ってくださいました。

 更に、兄弟たちがファラオの質問に対する答えの際、自分たちは寄留者であり、永住するつもりでいるわけではないということをハッキリと伝えたことで、エジプトという国に完全に入り込むのではなく、あくまでも寄留者であり、再び旅立つこともあるということをファラオに示しました。

 私たちは、神様の御国を目指して歩んでいます。聖書は、この世は仮住まいであると言っています。私たちも、ヨセフさんの兄弟たちのように、この仮住まいにおいて地位や名誉を得ることではなく、神様に忠実であることが大切であると聖書は教えてくれます。