「神様からの知恵」

夢の解き明かしと共に、その夢が現実となった時にどのように対処したらよいかという解決策まで示されたファラオには、1つの課題がありました。

それは、解決策の中で示されたように、7年間の飢饉に備えるために国を治める聡明で知恵のある人物を探すということでした。

もし、この夢が本当であれば、7年間の飢饉という迫り来る困難は命に係わることであり、エジプトという国の存続にも関わるような大事件です。

「そんなことが起こるはずがない」と言って、ヨセフさんを退けることもできたかもしれません。しかし、ファラオはその解き明かしを真剣に受け取りました。

自分の国を誰に託したらよいだろうか。本当に大きな課題であったことと思います。しかし、一連の出来事にしっかりと向き合ったファラオの目の前には、もう既に国を治めるのに最適な人物が用意されていました。

ヨセフの方を向いてファラオは言った。 「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう。(聖書 創世記 41:39 新共同訳)

ファラオは、自分の夢を解き明かし、更には解決策までを示したヨセフさんに声をかけました。ヨセフさんは、エジプト人からすると、外国から奴隷として売られて来てトラブルの結果ついさっきまで牢獄の中にいた得体の知れない人物でした。

しかし、ヨセフさんがどん底の牢獄の中にあっても、神様に従う者として誠実に生きてきたこと、そして、解き明かしの時のヨセフさんの人柄、それらがファラオの心を掴んで離さなかったのだと思います。

そして何よりも、それがヨセフさん自身のすごさではなく、「神様が示された」というものであったということが、ヨセフさんが選ばれたことの理由として語られていました。

神様からの知恵を求め、その知恵に生きていく時、私たちにとっては思いもよらない方向に進んでいくことがあるんだということを知ることができる出来事でした。

しかし、これは偶然ではなく、神様がしっかりとヨセフさんを導いておられたからこその出来事でした。

「解決策」

夢に悩んでいたファラオは、ヨセフさんに見た夢を話し始めました。ファラオは2つの夢を見ていました。

肥えた7頭の牛をやせ細った7頭の牛が食べてしまう夢、そして、よく実った7つの穂をやせ細った7つの穂が飲み込んでしまうという似たような夢でした。

ヨセフさんは、この2つは同じ意味であるということを説明し、早速この夢の解き明かしを始めました。

「これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。」(聖書 創世記41:28 新共同訳)

そして、これから起こることというのは、7年間の大豊作とその後にやってくる7年間の飢饉というものでした。

更にこの飢饉というのは国を滅ぼしてしまうほどのものだという説明も加えられました外国から来た奴隷がファラオに向かって「あなたの国は飢饉で滅びる」という宣告をするということはとても勇気のいることだったことと思います。

しかし、神様はヨセフさんに対して夢の解釈だけではなく、もう一つ大切なことを示されました。それが、この一大事に対する解決策です。

「このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」(聖書 創世記41:33∼36 新共同訳)

聡明で知恵のあるリーダーが飢饉に備えて国を治める。これが、示された解決策でした。この解決策の提示によって、絶望的な未来ではなく、安心して迎えることができる時に変わった瞬間だったのではないかと思います。

神様は、聖書の預言を通してこれからどのようなことが起こるのか、そして、世界がどうなっていくのかということを示しておられます。

しかし、神様はどうなるのかだけではなく、そこに対する解決策を示してくださるお方です。

私たちの罪というものが引き起こす結果がどれだけ悲惨なものであったとしても、神様はイエス・キリストの十字架という唯一であり最大の解決策を示してくださいました。私たちがそれを信じ、受け入れ、生き方が変わっていくこと。これが、神様が示してくださっている私たちへの解決策です。

「信頼を得る」

忘れられていたお願いを思い出されたヨセフさんは、王様の見た夢を解き明かすことができる期待の存在として牢獄から出され、身なりをエジプト流に整えられてから王様のもとへと連れて来られました。

「ファラオはヨセフに言った。『わたしは夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが。』ヨセフはファラオに答えた。『わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。』」(聖書 創世記41:15∼16 新共同訳)

夢の解き明かしができるということについては、ヨセフさん自身も既に牢獄で経験しており神様に信頼をおいているので何も心配いらなかったことと思います。

しかし、ヨセフさんはこのエジプトのトップの前に召し出されても、自分は夢の解き明かしができるんだというようなおごり高ぶるようなことはなく、神様の業であるということを伝えました。

そして、夢に悩まされていたファラオは、目の前にいるヨセフという外国人に対し、自分の見た夢を語り始めました。

もしかすると、ここでヨセフさんがとった態度次第ではファラオの機嫌を損ね、ヨセフさんだけではなく、それを紹介した給仕長も再び命の危険を感じるような状況になりかねなかったかもしれません。

しかし、それでも給仕長が思い出したヨセフという牢獄にいた外国人を紹介したのは、ヨセフさんなら大丈夫だという確信があったからかもしれません。

外国の地においても、どん底まで落とされたような思いのする経験をすることとなったヨセフさんでした。しかし、いつも神様の栄光をあらわす生き方、選択、受け答えをしていることで周囲の信頼を得ていきました。そして、その誠実さを通し、牢獄という辛い場所からエジプトのトップであるファラオの前でファラオを助けるという状況にまで引き上げられたのでした。

そのように、神様はしっかりと導いてくださっていました。

「思い出されたお願い」

牢獄を出てファラオの前に出ることとなるであろう給仕長に対し、自分のことを思い出してほしいと望みを託したヨセフさんでしたが、料理長の復帰後二年もの間忘れ去られていました。

ヨセフさんは牢獄の中にいるので、給仕長がファラオに説明してくれたのか忘れてしまっているのかはわからなかったことと思います。

待てど暮らせど自分はここから出ることができない。もし、説明してくれているのだとしたら、自分に対する誤解は解けなかったんだろうか。そんなことを思いながらの日々だったかもしれません。

しかし、神様はヨセフさんを見捨てたりはしませんでした。二年の後、今度はファラオが夢を見ました。ファラオも牢獄に入れられた時の料理長と給仕長のように、見た夢の意味が気になり始めました。

「朝になって、ファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話した。しかし、ファラオに解き明かすことができる者はいなかった。」(聖書 創世記41:8 新共同訳)

夢の内容を話しても、誰も解き明かすことができない。そんな時、ファラオに申し出る存在がありました。

「わたしは、今日になって自分の過ちを思い出しました。」(聖書 創世記41:9 新共同訳)

大切なことを忘れていた。そう申し出たのはヨセフさんから思い出してほしいと頼まれていた給仕長でした。

ファラオが夢を見て、説きあかせる者がいないという状況の中で、二年前に自分の夢を解き明かしてくれた若者のことを思いだしたのでした。そして、給仕長はファラオに一部始終を話しました。

忘れ去られ、長い月日が経ち待ちましたが、神様はファラオの夢という出来事を通して、ヨセフさんを牢獄から導き出す計画をたてておられたのでした。

神様の計画はすぐにわかることもあれば、ゆっくりじっくりと練り上げられながらその時をむかえるということもあります。

ヨセフさんは、牢獄での日々で更に鍛錬されたのでした。

「忘れられたお願い」

ヨセフさんは、悩める2人の役人の夢を聞き、神様が解き明かされた内容をそれぞれに伝えました。

まず、給仕長が見た夢の解き明かしはこうでした。

「三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて、元の職務に復帰させてくださいます。あなたは以前、給仕役であったときのように、ファラオに杯をささげる役目をするようになります。」(聖書 創世記 40:13 新共同訳)

そして、料理長の見た夢の解き明かしはこうでした。

「三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて切り離し、あなたを木にかけます。そして、鳥があなたの肉をついばみます。」(聖書 創世記 40:19 新共同訳)

片方は元の職に戻り、片方は頭を切り離される、つまり処刑されてしまうというものでした。

さて、ヨセフさんは、給仕長の夢を解き明かした際に、このようなお願いをしていました。

「ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。わたしのためにファラオにわたしの身の上を話し、この家から出られるように取り計らってください。 わたしはヘブライ人の国から無理やり連れて来られたのです。また、ここでも、牢屋に入れられるようなことは何もしていないのです。」(聖書 創世記 40:14-15 新共同訳)

ヨセフさんは、王様に仕えるために復職すると夢で示された給仕長に自分の身の潔白を証明してもらうようにと望みをかけて託しました。

そして、いよいよ運命の3日目がやってきました。ある意味ではヨセフさんの運命もかかっている日でもありました。

「ファラオは給仕役の長を給仕の職に復帰させたので、彼はファラオに杯をささげる役目をするようになったが、料理役の長は、ヨセフが解き明かしたとおり木にかけられた。ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。」(聖書 創世記 40:21-23 新共同訳)

牢獄から解放された喜びからか、残念ながらヨセフさんの願いは忘れ去られてしまったのでした。

しかし、この後、「夢の解き明かしは神様がなさること」として神様の栄光をあらわしたヨセフさんに、もう一度大きなチャンスが訪れることとなります。人が忘れてしまっても、神様は決して忘れることはありません。