「祝福をもらえるまでは」

エサウさんとの再会を目前にし、ヤコブさんは一緒に旅をしている家族を先に行かせ、独り祈りの時を持ちました。

暗い夜の闇の中で、ヤコブさんは自分の罪を思い返しながら、祈り始めました。すると、その暗闇の中で誰かがヤコブさんに襲い掛かって来ました。ヤコブさんは誰だかわからないその相手に必死に応戦します。

しかし、その戦いの中においても、ヤコブさんは自分の罪の重さに苦しみ、真剣にその赦しを求めて祈っていました。

その戦いは両者一歩も引かない長期戦へと突入していきました。そして、いよいよ夜が明ける頃になった時、襲い掛かって来た相手は、ヤコブさんの腿の関節に改心の一撃を与えました。そして、そこから去ろうとしています。

その時、ヤコブさんは自分が一体誰と格闘していたのかということに気が付きます。その相手とは、まさにヤコブさんが罪の赦しを求めて戦いながらも真剣に祈り続けていた相手である神様でした。

そこでヤコブさんは、そこから去らすまいと必死にしがみつき、こう言いました。

「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」(聖書 創世記32:27 新共同訳)

ヤコブさんの心からの悔い改めと赦しを求める祈りを聞かれた神様は、ヤコブさんの願い通りその場所でヤコブさんを祝福されたのでした。

神様は、私たちが心から悔い改めて神様がお与えになりたいと思っている罪の赦しという祝福を真剣に求める時、必ずそれを与えてくださいます。

「神様の臨在」

20年前、兄の怒りを恐れて独り逃亡の旅に出たヤコブさんは、今度は故郷に向けてその来た道を歩き始めました。

しかし、ヤコブさんには大きな不安がありました。それは、20年前の出来事が何も解決していなかったということです。

故郷に帰りたい。しかし、帰れば自分が長子の特権を騙し取った兄のエサウさんがいる。恐らく、謝って赦してもらえるような次元の話ではありません。もしかすると自分の命が危険にさらされるかもしれないという不安もあったと思います。

そんな不安を抱えながらも神様の約束を信じて故郷を目指すヤコブさんに対して、神様は励ましをお与えになりました。

「ヤコブが旅を続けていると、突然、神の御使いたちが現れた。」

(聖書 創世記32:2 新共同訳)

神様が共にいてくださるから大丈夫。ヤコブさんはそんな気持ちになったことと思います。

しかし、またすぐにヤコブさんを不安にする出来事が訪れます。ヤコブさんは故郷に戻るにあたり、兄のエサウさんのもとに使いを送りました。

兄はまだ怒っているのだろうか。もしかすると20年も前のことだから、もう赦してくれているかもしれない。そんな期待もしながらの御機嫌伺でした。

しかし、戻ってきた使いの者によれば、兄は400人のお供を連れてこちらに向かって来るということでした。

怒っているのか赦してくれているのかの情報はありません。しかし、もし怒りのまま400人もの人たちに襲い掛かられたら、自分も自分の家族も財産も太刀打ちすることはできません。

ヤコブさんは色々と試行錯誤しながら万が一のことを考え、一緒に旅をしている人や財産を二組に分けました。

一方がやられてしまっても、もう一方が生き残れると考えたからです。先発隊を送り出したヤコブさんは、もう一度神様との真剣に向き合う時を過ごすこととなります。

「神様が言ったから」

家族の協力のもと、ラバンさんの留守を見計らって故郷へ向けて脱出したヤコブさんでしたが、さすがにそこまでの大所帯がいきなり家から消えていたらラバンさんが気づかないはずがありません。

ラバンさんがそのことに気が付いたのは、ヤコブさんが脱走して三日目のことでした。

自分の財産を増やしてくれる働き者のヤコブさんが、自分の目を盗んで逃げだして行ってしまった。更には、自分の娘や孫たちに別れを告げることもさせてくれなかった。そんな怒りか

ら、ラバンさんの追跡が始まります。

きっと、ラバンさんが従えて行った人たちの人数からして、ヤコブさんたちに勝ち目はありません。捕らえられて連れ戻されてもおかしくありませんでした。

さて、ラバンさんは追跡の結果、山の上にいるヤコブさんたちを見つけました。そして、ヤコブさんに詰め寄ります。ヤコブさんたちにとっては、「また連れ戻されてしまうのでは」という絶体絶命の状況でした。

しかし、色々と言われたあとに、ラバンさんの口から驚きの言葉が語られました。

「わたしはお前たちをひどい目に遭わせることもできるが、夕べ、お前たちの父の神が、『ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい』とわたしにお告げになった。」(聖書 創世記31:29 新共同訳)

ヤコブさんに対して「故郷に帰りなさい」と言ったのは神様でした。その神様は、ヤコブさんを守るためにラバンさんの所に来てこのように忠告をされました。

「ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい。」(聖書 創世記31:24 新共同訳)

神様が「行きなさい」と言われる時、しっかりとその道を備えてくださいます。「わたしが共にいる」と言われる神様に従う時に、それを実感することができるんだということをヤコブさんの経験を通して教えてくれています。

「脱走」

ラバンさんのもとを去り、自分の父が住む地へと戻ることを希望していたヤコブさんに、神様はこのように言われました。

「主はヤコブに言われた。『あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる。』」(聖書 創世記31:3 新共同訳)

ラバンさんに故郷へ帰りたいと掛け合い、そのために駆け引きをするなど試行錯誤していたヤコブさんでしたが、ついに脱走計画を企てることとなりました。

自分の生まれ故郷に帰るにあたって、ヤコブさん一人で行くことはできません。ラバンさんのもとで結婚したレアさんとラケルさんや生まれた子どもたちも連れて行かなければなりません。

そこでヤコブさんは、2人の奥さんに自分の思いを伝えました。すると、彼女たちはヤコブさんの思いと、ヤコブさんに対して御心を示された神様の言葉を理解して「どうか今すぐ、神様があなたに告げられたとおりになさってください。」(同 31:16)と応えました。

家族の理解を得た上で、ヤコブさんは2人の奥さん、子どもたち、そしてラバンのもとで得た財産である家畜を連れて出発しました。

勿論、脱走計画ですので、ラバンさんにばれないように計画をたててこっそりとその場を離れて行きました。

しかし、いくら脱走に成功しても、いなくなったことはすぐにばれてしまいます。だとしても、神様が約束してくださった「わたしはあなたと共にいる」という言葉を信じて、伯父の支配のもとから約束の地を目指して逃げだしたのでした。

「祝福の与え主」

ヤコブさんは、伯父のラバンさんのもとで忠実に働きました。勿論、それはラケルさんと結婚するためでもありました。しかし、結婚した後もヤコブさんは忠実に働いていました。その結果、ヤコブさんは神様から大きく祝福されました。

また、ヤコブさんが祝福されることは、伯父のラバンさんにとっても嬉しいことでした。自分のもとで働いている人が祝福されれば、結果的にその祝福に与る事ができ

るからです。

ヤコブさんもそれは認めていました。「わたしが来るまではわずかだった家畜

が、今ではこんなに多くなっています。わたしが来てからは、主があなたを祝福しておられます。」(聖書 創世記30:30 新共同訳)

このことで一つの問題が起こりました。ある

日、ヤコブさんは言いました。

「わたしを独り立ちさせて、生まれ故郷へ帰らせてください。わたしは今まで、妻を得るためにあなたのところで働いてきたのですから、妻子と共に帰らせてください。あなたのために、わたしがどんなに尽くしてきたか、よくご存じのはずです。」(聖書 創世記30:25∼26 新共同訳)

しかし、祝福のもとと思っていたヤコブさんを失うことにためらいを覚えているラバンさんは、当然ヤコブさんを手放すことはしたくありません。そして、ここからヤコブさんとラバンさんの駆け引きが始まっていくことになります。

ヤコブさんの祝福は神様からのものでした。祝福されている人を抱え込むのではなく、祝福の与え主である神様に目を向けることはとても大切なことですね。