月別アーカイブ: 2019年5月

「キリスト教との出会い」

私のキリスト教との出会いは、幼稚園を通してでした。マリア・モンテッソーリというローマの精神科医が始めたモンテッソーリ教育という教育法を行う「子どもの家」という幼稚園に入園しました。モンテッソーリさん自身はクリスチャンであったそうですが、調べてみたところモンテッソーリ教育は宗教を問わず行っているものだそうです。

そんな中、神様の最初の導きは、その幼稚園でクリスチャンの先生に出会わせて下さったということでした。他の「子どもの家」に入園していたら、きっとキリスト教に触れることはなかったかもしれません。

子どもの家では楽しい思い出が沢山ありますが、一番思い出に残っているのは、クリスマスに必ず行っていたオペレッタです。

キリスト教、聖書、イエス様、全く知らない中でしたが、この降誕劇を通してクリスマスはイエス様の誕生を祝う日なんだということを早くから学ぶことができました。ちなみに、その時演じたのはヨセフさんの役だったと思います。

 

「イスラエルの聖なる神 あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神 わたしはあなたを教えて力をもたせ あなたを導いて道を行かせる。」(イザヤ書48:17 新共同訳)

 

神様は、私たちに対して、わたしがあなたを教えると言っておられます。たとえ、今よくわからなくても、神様ご自身が私たちを教えてくださり、導いて道を行かせてくださいます。

神様は、全く何もわからなかった幼稚園児の私を、オペレッタや毎日のお祈り、何気なく歌っていた讃美歌などを通して教え導いてここまで連れてきてくださいました。

それを通して、「あなたを贖う主」を知ることができました。

「健康に食べる」

5月19日(日)、八王子教会にて春の採食料理教室が開かれました。講師は、甲府集会所の藤田由美子さんでした。

メニューは、グルテンのおとし揚げ、クレソンの胡麻和え、ヨモギ白玉すまし汁、サツマイモの粉のくずもちでした。レシピがありながら、その時に採れた新鮮な野菜を使用する季節を感じることができるお料理でした。

また、メニューになかったサラダも作ってくださり、ハチミツとレモンとオリーブオイルをぜたドレッシングで食べる新鮮な野菜は格別でした。

驚いたのが沖縄から送って頂いているというサツマイモの粉で作ったくずもちです。初めて食べましたが、甘くてとても美味しいデザートでした。

どのメニューも、完成した品の味と共に、新鮮で美味しいお野菜というのも今回のキーポイントだったように感じました。

 

「わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。」(コリントの信徒への手紙一3:6~9 新共同訳)

 

聖書は、私たちの信仰の成長ということに関して、人が神様の協力者として植え、水を注ぐと、神様が成長させてくださると言っています。私たちの信仰は、そのように成長させて頂いてきたものです。

畑に植えて、水を注ぐと新鮮な野菜が採れ、食べる人が健康になります。同じように、神様の畑で神様によって育てて頂いた新鮮な信仰は、周囲に健康をもたらす美味しい健康食品です。イエス様とつながることでそのような実として成長させていただきましょう。

「健康に成長」

5月12日(日)から15日(水)まで、立川教会にて全国牧師会が開かれました。全国の教会から牧師が集まり、讃美と祈り、学びと交わりの時を持ちました。

朝の8時半から夜は19時近くまで、講義の時間が持たれました。毎年、海外から講師をお招きし、様々なテーマで学んでいます。

今回のテーマは、「教会成長」と「教会リバイバル」についてでした。また、教団顧問弁護士の先生から「ハラスメント」についての講義を受ける機会も与えられました。

この牧師会は、立川の集会室で行われますが、朝から晩まで座りっぱなしの状態です。そんな牧師陣のために、毎回体操の時間が設けられています。今回の体操の時間は、教団の職員の方々が毎日行っているというラジオ体操第一でした。

驚いたのは、英語版のラジオ体操があるということでした。日本人だけではなく、海外から来られた方々も一緒に、皆でラジオ体操を行い、体を動かす時間が持たれました。

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」(ローマの信徒への手紙12:1 新共同訳)

聖書には、自分の体を大切にしていくことが神様への礼拝であると記されています。これは、私たちの心や身体の状態もそうですが、教会というキリストの体に対しても同様のことが言えます。

教会は、身体に様々な機能を持つ様々な部分があるように、様々な賜物を与えられた人たちが支え合うことで成り立っています。キリストを頭として、私たち一人一人に霊的健康が与えられ、教会が霊的に健康で元気な歩みを続けることができるように祈っていきましょう。

小学校低学年の頃だと思います。ある日、突然親に連れられ駅に向かいました。友達数人と電車に乗せられ何処かへ運ばれて行きました。

着いた場所が何処であるかも解らず、ここで何をするのかも解りませんでした。一つだけ理解できたことは、今日は家に帰れないんだということでした。それが解った瞬間、とてつもない絶望感に襲われたことを覚えています。

今考えれば、子どもたちのお泊り教室のようなものだったと思います。しかし、何も理解しないまま突然その場所におかれたら、どんなに楽しいレクリエーションも上の空になるわけです。

そこに何泊したのかも覚えていませんが、今から家に帰れると知った時の喜びは今でもハッキリと覚えています。(勿論、その場所が酷い場所だったわけではありません。)

聖書にはアブラハム、イサク、ヤコブなど多くの有名な人たちが登場しますが、彼らが持っていた信仰について、聖書はこのように記しています。

 

「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。」(ヘブライ人への手紙11:13 新共同訳)

 

確かに彼らはこの地上で生活を送っていましたが、今は仮住まいであり、本当の故郷が別に用意されていると確信していました。その住まいとは、「更にまさった故郷、すなわち天の故郷」であると聖書は言っています。

天の故郷は神様が準備をしてくださる都です。そこは、あの日、喜び勇んで家にたどり着いたら家が火事で焼け焦げてしまっていた私のような経験をすることは絶対にない、安心して帰れる故郷です。

「キリストの平和」

平成が幕を閉じ、令和がスタートしました。ショッピングモールでは、初売りセールが行われていたり令和Tシャツが売られていたりと、新年号を迎えるおめでたい雰囲気で溢れていました。

また、新年号に向けてのお祝いムードと同時に、平成を振り返り、懐かしむことができるグッズが売られていたりもしました。

その中にあったのが、“平成流行スイーツ味のチョコレート”です。皆様は平成に流行ったスイーツを覚えておられるでしょうか。

そんな平成と令和という境目に立ち会えたわけですが、平成と令和を合わせて“平和”を願いましょうという方々の声も耳にしました。

そんな時代になることを祈りつつ、私たちには既に平和が与えられていることを覚えていきたいと思います。

「また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」

(コロサイの信徒への手紙3:15 新共同訳)

キリストは、私たちに本当の意味での平和を与えてくださる方です。そして、私たち一人一人がその平和にあずかるようにと、招いてくださっています。

私の好きな讃美歌の中に、とても短い歌ですがこんな讃美歌があります。

「キリストの平和が わたしたちのこころのすみずみにまで ゆきわたりますように」

(希望の讃美歌169番 1節)

キリストの平和への招きに感謝し、そしてキリストの平和がすみずみにまで行き渡りますようにと、今日も祈りましょう。