月別アーカイブ: 2019年7月

「持っていなくても」

先週、我が家に3人の中学生男子を迎えてコーテット(男性四重唱)合宿を行いました。合宿ということで、朝から晩まで歌っているわけですが、やっぱり3食の食事は欠かせません。食べ盛りの年頃に加え、沢山声を出して歌うと体力も使いますしお腹もすきます。私は食べ盛りの時期はとっくに過ぎ去り、スーツのホックが閉まらないことに困惑している年頃ですが、一緒になって食べてしまいました。

今回は、それぞれのご家庭から沢山の差し入れを頂きました。三育フーズ食品や、北海道の新鮮なお野菜などが山ほど届きました。毎日のメニューを何にしようかと贅沢に悩みながら毎日を送りました。

夕食の準備をしていた時のことです。久々に4人分という量のお米を炊いて、お皿によそおうとした時に、“ある物”を持っていなかったことに気が付きました。

「あ、しゃもじを持っていなかった。」

「だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。進んで行う気持ちがあれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。」(聖書 コリントの信徒への手紙二8:11∼12 新共同訳)

私たちは、それぞれ神様から与えられているものがあります。時に、「自分はあれを持っていない。これも持っていない。だからできない。」と思ってしまうこともあります。

しかし、神様は、私たちに対して、「その持っていないものを何とか手に入れてきなさい」とは言われません。神様は、私たちが行おうとする時、持っているものに応じて受け入れてくださる方です。今与えられているものを持ってやり遂げましょう。

ただ、お米をよそうのはスプーンよりしゃもじの方がいいですね。

「思い続ける」

三育学院大学の看護宣誓式が行われました。宣誓式は、学生たちが病院の現場に出ての実習に入っていくにあたり、宣誓を行う式です。私は、三育学院大学の東京校舎でチャプレン(学校付牧師)として御奉仕させて頂いていることもあり、少しではありますが宣誓式のお手伝いをさせて頂く機会が与えられました。

三育学院で神学生だったころにも毎年看護宣誓式が行われていましたが

、準備の段階から関わることができたのは初めてのことでした。そして、リハーサルから本番まですぐ近くでこの式を見ることができました。

 練習の中で、ある先生が宣誓式とはどのような式なのかというお話をされていました。本来、自分の心の中で決心をすればそれですむものをわざわざ式という形で行うのは、これからの歩みにおいて様々なことがある中で、宣誓をしたということに立ち帰ることで仕切り直しをすることができるためだ、ということを話しておられました。

原点回帰をするということはとても大切なことなのだなと改めて考えさせられました。

「イエス・キリストのことを思い起こしなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません。」(聖書 テモテへの手紙二2:8∼9 新共同訳)

パウロさんは、福音を宣べ伝える者として生きるがゆえに、鎖につながれるような人生を送ります。しかし彼は、そんな時こそイエス・キリストのことを思い起こすようにと言っています。この「思い起こす」という言葉は、「いつも思っていなさい」という言葉にも訳されています。聖書は、人生の中でどんな時にあっても、いつもイエス・キリストを思い続けるようにと言っています。

「流れ出る水」

雨が降った後に大きな池を訪れた時のことです。池の中の水はとても濁っていました。恐らくいつもはとても綺麗な池だったのではないかと思います。

池の周りは散歩コースになっており、いくつかのコースを選びながら池の周りを一周することができるようになっていました。

綺麗な池を見ながら自然の中を散策できると楽しみにしていましたが、池は諦めて周りの自然を見ながら散歩を始めました。

池を周ると言っても、小高い丘を登り降りするような道を行くため、中々歩き甲斐のあるコースです。

その道の途中、水の流れる音が聞こえてきました。木の板一枚くらいの小さな橋がかけられている下を、池から流れて来た水が通っていました。

驚いたのは、あの濁っていた池の水が、一度流れ出すととても綺麗な水となって流れていたことでした。

「イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」」(聖書 ヨハネによる福音書7:37∼38 新共同訳)

イエス様は、私たちに御自分のもとへ来て飲みなさいと言われます。イエス様から飲んだ人は、自分の中にはなかったはずの「生きた水」が流れ出てくると言われました。きっと、その流れ出る水は、おどろくほどに澄んだ綺麗な水なのではないかと思います。私たちもイエス様のもとへ行き、生命の水を飲みましょう。

「道を備える」

一週間雨の予報が出ていた中でしたが、夏に行われる小中学生対象のビーバップキャンプの準備のために長野県にある野尻湖へ行って来ました。

一日目は、キャンプで行うプログラムの下見をするために、黒姫高原や苗名滝など自然豊かな場所を回りました。

そして、2日目がメインイベントのキャンプ場の草刈りです。いつもキャンプ本番ばかり参加していたため全く気が付きませんでしたが、キャンプ前にはこんなに草が伸び放題の状態になっていたということにビックリでした。

歩く道もないほどの伸びきった雑草が広がるキャンプ場の草刈りが始まりました。「まずは、キャビンまでの道をつくろう」ということで、数棟あるキャビンを行き来することができるように道をつくっていきました。そして、真ん中に広がる広場を一気に刈り込み、湖までの道を整えて何とかいつも見慣れた景色にまで整備することができました。

刈った草は大量に残っていましたが、タイムリミットが来たため、教団管財課の方々にバトンタッチして帰路につきました。

「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。」(聖書 イザヤ書40:3 新共同訳)

主のために道を備える。この聖書の言葉を引用しながら実際に主の道を備えていったのがバプテスマのヨハネさんです。イエス様が来られるために、そしてみんながイエス様を受け入れることができるように「道を備える」メッセージを伝えて働いていました。

この夏に行われるキャンプで、子どもたちがイエス様との出会いを体験することができますようにと祈りながらの「道を備える」草刈りワークキャンプでした。