月別アーカイブ: 2020年4月

「約束の時期」

アブラハムさんとサラさんに、本当に長い長い期間待ちわびていた待望の赤ちゃんが与えられました。

「主は、約束されたとおりサラを顧み、さきに語られたとおりサラのために行われたので、彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた時期であった。」(聖書 創世記21:1∼2 新共同訳)

神様の約束を何度も疑ったり、笑ってしまったりと、紆余曲折の旅路でしたが、神様は約束された通りに2人の老夫婦に子どもを授けてくださいました。

そして、その生まれた時期は、神様が事前に告げておられた時期でした。その約束の言葉はこうでした。

「わたしの契約は、来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。」(聖書 創世記17:21 新共同訳)

神様の約束は、息子が産まれるというものから始まり、奥さんのサラさんから産まれるという具体的なものになり、そして、最後はその時期まで約束をされたのでした。

私たちの救い主であるイエス・キリストも、聖書を通してその誕生が事前に告げられていました。更に、驚くべきことに、この救い主イエス・キリストに関しては、どこで誕生し、どの時代に、どのような人生を送るのかということまでが事前に告げられていたのでした。

聖書はその神の独り子である救い主イエス・キリストについて何度も何度も繰り返し語っている書物です。

そして、その約束は私たち一人一人に対して与えられているものです。

「それゆえ、わたしの主が御自ら あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み その名をインマヌエルと呼ぶ。」(聖書 イザヤ書7:14 新共同訳)

 

「前か後ろ」

アブラハムさんの甥のロトさんが住むソドムとゴモラの町は、神様の思いから大きくかけ離れてしまった不法がはびこる町でした。アブラハムさんの執り成しはあったものの、この町は滅んでしまうという宣告を受けました。ロトさんは、家族を連れてこの町から逃げるようにと神様から言われます。

この町では、多くの財産を築き、不自由のない生活でした。しかし、今、それを全て置いて町から逃げるようにと言われたわけです。ロトさんは渋りました。そんなロトさんに神様はこう言われました。

「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。」(聖書 創世記19:17 新共同訳)

生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされたロトさんに対し、神様は、その町で築き上げてきたものを守のではなく、あなたの命を守るようにと言われたのでした。

この後もロトさんは弱音を吐きながらなんとか走り出しました。神様から言われたように、後ろを振り向かずに。

しかし、ロトさんと一緒に逃げていたはずの奥さんは、後ろを振り返ってしまいました。神様が「後ろを振り返るな」と言われたのは、町がどうなったどうかと見るなということよりも、未練を捨てなさいという意味がありました。

ロトさんの奥さんは、今まで自分が住んでいた町、家、友人、財産。色々なものに後ろ髪を引かれ、町から出て逃げてはいましたが、心はまだソドムの町の中にありました。

彼女はこう思っていたかもしれません。「神様はなんてひどいことを。」

神様は命を助けたかったがために、後ろを振り返ってはいけないと言われました。しかし、その神様の思いがわからず、未練を残してきたロトの奥さんにとっては、感謝の言葉すらでてこない状況でした。

神様は、私たちに対して、命を守るために、その滅びてしまう罪という中から「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない」と言われます。

その神様の必死の思いを知ることができたとき、私たちは本当の意味で感謝をすることができるようになります。

 

「アブラハムの執り成し」

アブラハムのもとに三人の来客が訪れました。彼らはアブラハムに対して、良い知らせと悪い知らせを持ってやってきました。良い知らせは、この老夫婦に子どもが生まれるという祝福の言葉でした。しかし、悪い知らせは、甥のロトさんが暮らすソドムの町があまりにも罪深い状態であるため、滅ぼされるという知らせでした。

このソドムに対する宣告を聞いたアブラハムさんは神様に対してこのように言いました。

「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。あの町に正しい者が

五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにならないのですか。正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」(聖書 創世記18:23∼25 新共同訳)

もし、あの荒れ果てた町に少しでも正しい人がいるなら、滅ぼさないでください。そのような願いでした。

滅ぼさないということは、その少しの正しい人たち以外の悪いことをしていた人たちも同じように助かるということです。悪いことをしているのだから、その人たちは滅んでしまってもいいのではないかと思う人もいるかもしれません。

何故アブラハムさんは、「正しい人たちだけ助けてください」ではなく、「正しい人がいるなら町を滅ぼさないでくさい」と願ったのでしょうか。

それは、アブラハムさんが、「罪人」を愛する気持ちがあったからです。アブラハムさんは、「罪」という行為を許容することも肯定することもしませんでした。しかし、そこに陥ってしまっている「罪人」のことを覚え、その人たちが救われることを心から祈ったのでした。

これは、神様がもっておられる考えそのものでした。神様は、「罪」は憎まれます。しかし、「罪人」である私たちのことは心から愛してくださっています。そのために、独り子であるイエス・キリストを十字架につけてくださいました。

私たちもそのように神様から愛されている存在です。

「彼は笑う」

神様の子どもを与えるという約束に対して、アブラハムさんは笑いました。どんな心境で笑ったのかは書かれていません。しかし、アブラハムさんは笑いました。

そして、その後、妻のサラさんも年老いた自分たち夫婦に子どもが生まれるというお告げを耳にした時、ひそかに笑いました。この笑いは、そんなことがあるはずがないという笑いでした。

非現実的なこと、そして、何度も言われつつ未だに全く実現していない出来事。この現実を目の前にして、更に重ねて約束をなさる神様の言葉に対し、二人の夫婦は笑いました。

さて、神様はいよいよ現実味を帯びた言及を始められました。そこでは生まれて来る子の性別と付けるべき名が告げられました。

「あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。」(聖書 創世記17:19 新共同訳)

神様の約束に対して、笑ってしまった夫婦。この夫婦に対し神様が告げられたのは、あなた方の間に生まれる男の子にイサクという名前をつけなさいというものでした。そして、そのイサクという名前の意味は、彼は笑うという意味でした。

約束を笑ってしまった夫婦でしたが、この老夫婦が諦めずに神様の約束を信じ続けた先には、心の底から喜ぶことができる大きな祝福が待っていました。

このイサクという生まれて来ることになっている男の子は、この夫婦を疑いからの笑いから、心の底からの喜びへと変えてくれる存在でした。

約束を信じて最後まで忍耐する先に、喜びが待っています。