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「生まれる前から」

神様から選ばれ、その言葉に従って歩んできたアブラハムさん、そして、息子のイサクさんでしたが、三代目にして問題が起こりました。

イサクさんに生まれた2人の兄弟エサウさんとヤコブさん。三代目として家長を継ぐのは兄のエサウさんでした。

しかし、エサウさんの結婚によって、その神様に従う家系に危機が訪れました。エサウさんは、「ヘト人ベエリの娘ユディトとヘト人エロンの娘バセマト」(創世記26:34)という女性たちをお嫁さんに迎えました。

彼女たちの出身は、アブラハムさんの代から大切にしてきた天の神様を礼拝し、その神様に従って生きるというものとは全く異なる育ちの出身でした。

アブラハムさん、イサクさんの信仰生活とは相いれないものがエサウさんの結婚によってもたらされたのでした。

アブラハムさんは、そのようなことが起こらないようにと、息子イサクさんの結婚の時には、「息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、わたしの一族のいる故郷へ行って、娘を息子イサクのために連れて来るように。」(同24:3∼4)という命令をだしていたほどでした。

さて、残念ながら「彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種」(同26:35)となってしまいました。恐らく、この家族の誰もがエサウさんが家長になることに不安を覚えたことと思います。

しかし、神様はこれを見越して、母リベカさんに対してこんな約束をしてくださっていました。

「主は彼女に言われた。『二つの国民があなたの胎内に宿っており 二つの民があなたの腹の内に分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり 兄が弟に仕えるようになる。』」(聖書 創世記25:23 新共同訳)

神様はこの兄弟が生まれる前から、全てを母リベカに告げていたのでした。しかし、この約束を巡って、また事件が起こっていくことになります。

「目をそらさない」

イサクさんが神様の約束を信じ、エジプトに行かずに神様の命じた土地に寄留した時、神様はイサクさんを大きく祝福されました。

しかし、そこで問題が生じました。それは、イサクさんが寄留していた土地に住んでいた人たちからの妬みでした。

先住民からすると、外の土地から入って来て住み着いたかと思うと、財産がどんどん増えていったわけです。家畜やその世話をする僕たちなど、数が増えていくのを見た時、自分たちの土地を侵略するのではないかという心配が生まれてきたのかもしれません。

そこで彼らは、イサクさんたちが大切にしていた井戸をふさいで土で埋め始めました。そして、この土地から出て行ってほしいという通達までなされてしまいました。

その後、イサクさんは井戸のある場所を巡って渡り歩きました。井戸を掘りあてては、その場所で争いが起こる。そんなことをくり返しつつも、イサクさんは反抗して自分がそこに居座るのではなく、争いが起こると次の場所へと移って行きました。そして、ついに争いのない場所で井戸を掘ることができました。

「イサクは、その井戸をレホボト(広い場所)と名付け、「今や、主は我々の繁栄のために広い場所をお与えになった」と言った。」(聖書 創世記26:22 新共同訳)

せっかく繁栄し始めた場所を追われ、次の場所を見つけたかと思うと争いが起こる。そんな状況が続いたにもかかわらず、イサクさんの心は神様の約束から目をそらすことはありませんでした。

紆余曲折の中で、投げ出したくなることがあったかもしれません。しかし、今こうやって紆余曲折を通して辿り着いた場所は、神様が導いて与えてくださった場所なんだと強く確信して神様を礼拝したのでした。

「わたしが命じる土地に」

そのとき、主がイサクに現れて言った。「エジプトへ下って行ってはならない。わたしが命じる土地に滞在しなさい。あなたがこの土地に寄留するならば、わたしはあなたと共にいてあなたを祝福し、これらの土地をすべてあなたとその子孫に与え、あなたの父アブラハムに誓ったわたしの誓いを成就する。わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。アブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めや命令、掟や教えを守ったからである。」(聖書 創世記26:2∼5 新共同訳)

この言葉は、飢饉が襲ってきた際に、イサクさんに対して神様が言った約束の言葉でした。

エジプトは父アブラハムが飢饉を逃れるために訪れた場所した。イサクさんも、父と同じようにエジプトに行こうとしていたのかもしれません。

しかし、神様はそこには行かないようにと言われました。そうではなく、「わたしが命じる土地に滞在しなさい」と言われました。

神様が命じられた土地には既に先住民がおり、王様も存在していました。イサクさんとしては、そこに寄留させてもらう形になるわけです。ある意味では肩身の狭い思いをするかもしれない状況でした。

しかし、神様はイサクさんに父アブラハムの信仰を示され、息子であるあなたも同じようにわたしの言葉に従いこの祝福を受け継ぎなさいと言われました。

そして、イサクさんが神様の言葉に従い、その土地に留まり「穀物の種を蒔くと、その年のうちに百倍もの収穫」(創世記26:12)がありました。

エジプトに行かず、神様の言葉に従った結果、飢饉の中にあって「主の祝福を受けて、豊かになり、ますます富み栄えて多くの羊や牛の群れ、それに多くの召し使いを持つように」(創世記26:12∼14)なりました。

神様の言葉を信じて従う時、私たちはその祝福を見ることができるということを学ぶことができます。

「目の前か将来か」

イサクとリベカが祈って与えられたエサウとヤコブという兄弟。エサウが兄でヤコブが弟でした。当然、兄のエサウが長男として長子の特権を持っていました。

しかし、その長男として期待されていることや長子の特権というものは、兄エサウにとって堅苦しいと思えるものだったのかもしれません。彼がこの長子の特権を手放してしまう出来事が起こりました。

エサウがいつものように狩りをするために野山を駆け巡り、くたくたに疲れ果てて帰ってくると、弟ヤコブがパンとレンズ豆の煮物を持っているのが目に留まりました。

空腹だった兄エサウは、弟ヤコブにその食べ物を譲ってほしいと頼みました。すると弟ヤコブは衝撃の発言をします。

「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」(聖書 創世記25:31 新共同訳)

弟ヤコブは、この食べ物と引き換えに、お兄さんが持っている長男としての特権を自分に譲ってほしいと頼んだのでした。

普通であれば、軽く受け流しても不思議ではない言葉でした。しかし、兄エサウは空腹のあまりこの要求に対してこう答えました。

「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい。」(聖書 創世記25:32 新共同訳)

弟の衝撃発言に対し、兄も衝撃の返答をしたのでした。こうして兄エサウは、目の前の一時の空腹と引き換えに、長子の特権という将来に関係のある大切な権利を手放してしまったのでした。そこに至った原因として、兄エサウが普段からこの長子の特権をどのようにとらえていたかということも深い関係があったのでした。

神様は聖書を通して将来の輝かしい約束を希望として与えてくださっています。日々その約束を見つめることで、今目の前にある一時の困難に負けることなくイエス様がもう一度戻って来られるその日を待ち望みましょう。