日別アーカイブ: 2020年6月5日

「目の前か将来か」

イサクとリベカが祈って与えられたエサウとヤコブという兄弟。エサウが兄でヤコブが弟でした。当然、兄のエサウが長男として長子の特権を持っていました。

しかし、その長男として期待されていることや長子の特権というものは、兄エサウにとって堅苦しいと思えるものだったのかもしれません。彼がこの長子の特権を手放してしまう出来事が起こりました。

エサウがいつものように狩りをするために野山を駆け巡り、くたくたに疲れ果てて帰ってくると、弟ヤコブがパンとレンズ豆の煮物を持っているのが目に留まりました。

空腹だった兄エサウは、弟ヤコブにその食べ物を譲ってほしいと頼みました。すると弟ヤコブは衝撃の発言をします。

「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」(聖書 創世記25:31 新共同訳)

弟ヤコブは、この食べ物と引き換えに、お兄さんが持っている長男としての特権を自分に譲ってほしいと頼んだのでした。

普通であれば、軽く受け流しても不思議ではない言葉でした。しかし、兄エサウは空腹のあまりこの要求に対してこう答えました。

「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい。」(聖書 創世記25:32 新共同訳)

弟の衝撃発言に対し、兄も衝撃の返答をしたのでした。こうして兄エサウは、目の前の一時の空腹と引き換えに、長子の特権という将来に関係のある大切な権利を手放してしまったのでした。そこに至った原因として、兄エサウが普段からこの長子の特権をどのようにとらえていたかということも深い関係があったのでした。

神様は聖書を通して将来の輝かしい約束を希望として与えてくださっています。日々その約束を見つめることで、今目の前にある一時の困難に負けることなくイエス様がもう一度戻って来られるその日を待ち望みましょう。