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「一杯の食のために」

兄が受け継ぐことになっていた長子の特権を弟がだまし取ったという出来事。一番怒り狂ったのは、兄のエサウさんでした。

エサウさんは、空腹を満たすため弟に長子の特権を譲ると約束をした過去がありましたが、それが本当に弟の手に渡ったと知った時に事の重大さを思い知ることとなったので

した。

エサウさんは一時の空腹を満たしたいという欲求から、将来の大きな祝福を投げ捨てて、目の前にある一杯の食事を選びました。

彼は、そこで一杯の食事を選んだとしても、自分は長男として当然その特権をもら

えるものだと思っていました。

しかし、思いもしない出来事が起こり、本当に自分のもとからその特権が

取り去られることになってしまったのでした。

私たちが神様から与えられている約束。それは、将来に関するものです。神様はそれを信じて、その希望を大切にして歩んでほしいと願っておられます。

しかし、私たちは弱さゆえに、将来の希望を与えられているにも関わらず、一時の欲求から、大きな祝福を投げ捨てて、目の前にある一杯の食事を選んでしまうことがあります。

しかし、聖書はこのように言います。

「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(聖書 ローマの信徒への手紙8:24∼25 新共同訳)

イエス様が来られる時、私たちは忍耐して待ち望んだことによって喜びがあふれることでしょう。

「欺かれて気づく」

妻と息子の策略により、長男を祝福したつもりが次男にその祝福を与えてしまったことにより、世界で最初のオレオレ詐欺にかかってしまった父イサクさんでした。

声の違いに違和感を覚えつつも、自分の望み通りに長男のエサウさんに長子の特権を与えることができて一安心したイサクさんのもとに、狩りに出ていた本物のエサウさんが現れました。

「父イサクが、『お前は誰なのか』と聞くと、『わたしです。あなたの息子、長男のエサウです』と答えが返ってきた。イサクは激しく体を震わせて言った。『では、あれは一体誰だったのだ。さっき獲物を取ってわたしのところに持って来たのは。実は、お前が来る前にわたしはみんな食べて、彼を祝福してしまった。だから、彼が祝福されたものになっている。』」(聖書 創世記27:32∼33 新共同訳)

イサクさんは、自分が何とかして達成しようとしていた望みであった長男のエサウさんに長子の特権を与えるという計画が全て崩れ去ったことを知りました。

この祝福は、「間違えたからやっぱり取り消し」ということができるようなものではありませんでした。

欺かれたとしても、それを与えてしまったことを変更することはできません。この出来事を目の当たりにし、絶望に浸る父と子でした。

しかし、それと同時に父の心に神様の約束が思い出されました。それは、祝福を受けるのは長男ではなく次男のヤコブであるというものでした。

何とかして長男にそれを与えたいという自分の願いを突き通そうとしてきましたが、この絶望に思える出来事を通して、神様の約束は確かに成し遂げられるということを改めて知ることになったのでした。

 

「欺いて気づく」

兄エサウが狩りに出ている間に、母リベカの作戦は決行されました。兄の毛深さを装おうため、子山羊の毛皮を身に着けたヤコブさんは、父のもとへ向かいました。

ヤコブさんは、自分をエサウと偽り、料理を持って祝福をねだりました。どんなに目が見えなくなっていたとしても、息子の声はわかります。イサクさんは、えらく早く狩りから戻って来たあげく、ヤコブの声でエサウと名乗っている目の前の人物に疑問を感じます。

しかし、腕を触るとその毛深さは確かにエサウのものでした。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」(創世記27:22)そう言って、声ではなく毛深さからエサウであると確信したのでした。

ヤコブさんにとっては緊張の瞬間であったことと思いますが、母リベカの作戦により見事にこのピンチを切り抜け、父をだまして祝福を受け取ったのでした。

「ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。『ああ、わたしの子の香りは 主が祝福された野の香りのようだ。どうか、神が 天の露と地の産み出す豊かなもの 穀物とぶどう酒を お前に与えてくださるように。多くの民がお前に仕え 多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり 母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ お前を祝福する者は 祝福されるように。』」(聖書 創世記27:27∼29 新共同訳)

本来、この祝福の言葉は、神様がヤコブさんに与えると約束されたものでした。母リベカさんは、彼らが生まれる前にそれを告げられていました。

父をだまして祝福を得るような行動に出ずとも、神様の約束は必ず成されると信じて待つこともできました。

しかし、この母子はそれをすることができませんでした。きっと、ヤコブさんは作戦の成功の安堵と共に、後ろめたい気持ちが押し寄せて来たことと思います。これが、この後ヤコブさんを大いに悩ませていくことになります。しかし、神様は決してヤコブさんを見捨てませんでした。

「毛皮で隠す」

 兄のエサウが狩りに出かけている間、母リベカはどのようにすれば弟のヤコブが祝福を受けることができるかを考えました。

そこで思いついたのが、エサウさんが帰って来る前にヤコブさんを父のもとに行かせ、先に祝福を受けるという単純ながら大胆な作戦でした。

普通ならば無理な作戦でしたが、イサクさんは年をとって目がかすんで見えなくなってきていました。上手く兄のふりをしていれば気づかれずに済むと確信したのだと思います。

早速、この作戦をヤコブさんに伝えました。ヤコブさんは喉から手が出るほど祝福がほしいという思いはありましたが、父をだまして祝福を得るというのは、さすがに良くないことであるという思いにかられます。

しかも、兄と弟では決定的な違いがありました。エサウさんは毛深くて「全身が毛皮の衣のようであった」(創世記25:25)ということです。それに対して、ヤコブさんは、「肌は滑らか」(創世記27:11)でした。いくら父親の目が見えなくなってきているとはいえ、この特徴ゆえに体に触れればどちらであるかの区別はすぐにつきます。

ヤコブさんはそんな心配事とともに、父をだますというこの作戦を決行することをためらいました。

しかし、母はそんな息子を説得し、イサクさんをだますために周到に準備を整えました。そして、ヤコブさんも母の言葉に従い、父親をだまして祝福を得るという作戦に加担していったのでした。

「ヤコブは取りに行き、母のところに持って来たので、母は父の好きなおいしい料理を作った。リベカは、家にしまっておいた上の息子エサウの晴れ着を取り出して、下の息子ヤコブに着せ、子山羊の毛皮を彼の腕や滑らかな首に巻きつけて、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブに渡した。」(聖書 創世記27:14∼17 新共同訳)

果たしてこの作戦は成功するのでしょうか。しかし、たとえ父をだますことに成功したとしても、祝福の与え主である神様の目を欺くことはできません。

「心が騒ぐ時」

父イサクさんの後を継ぐことになっていた長男のエサウさんは、2人の奥さんとの結婚を通して両親の悩みの種となっていきました。

しかし、長男がどのような状況になっていたとしても、父イサクさんは長子の特権をエサウさんに渡すことを自分の大事な使命として持っていました。

さて、いよいよその時がやってきました。父イサクさんは長男エサウを呼び、このように告げました。

「『こんなに年をとったので、わたしはいつ死ぬか分からない。今すぐに、弓と矢筒など、狩りの道具を持って野に行き、獲物を取って来て、わたしの好きなおいしい料理を作り、ここへ持って来てほしい。死ぬ前にそれを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えたい。』」(聖書 創世記27:2∼4 新共同訳)

今から狩りに行き、獲物を取ってきて料理を作って私の所へ持ってきなさい。これをもって、正式に父イサクさんの持つ祝福が長男エサウさんのもとへ受け継がれることになるのでした。

しかし、そのやり取りを聞いていた母リベカさんはどうしても納得することができません。そこで、弟ヤコブさんを呼びこのように言いました。

「家畜の群れのところへ行って、よく肥えた子山羊を二匹取って来なさい。わたしが、それでお父さんの好きなおいしい料理を作りますから、それをお父さんのところへ持って行きなさい。お父さんは召しあがって、亡くなる前にお前を祝福してくださるでしょう。」(聖書 創世記27:9∼10 新共同訳)

兄エサウさんが狩りをして戻ってくる前に、先に料理を持って行き、祝福をもらうという作戦でした。

神様からの約束があり、それを信じていつつも、今まさに弟ではなく悩みの種である兄がその祝福を得ようとしているのを知り、何とかして自分たちでそれを阻止しようと慌てて動き始めたのでした。

神様は必ず約束を守る方です。それを信じて委ねるということが大切です。しかし、そうだとわかりつつも、どうしても慌てたり焦ったりしてしまうことがあります。