日別アーカイブ: 2020年7月9日

「毛皮で隠す」

 兄のエサウが狩りに出かけている間、母リベカはどのようにすれば弟のヤコブが祝福を受けることができるかを考えました。

そこで思いついたのが、エサウさんが帰って来る前にヤコブさんを父のもとに行かせ、先に祝福を受けるという単純ながら大胆な作戦でした。

普通ならば無理な作戦でしたが、イサクさんは年をとって目がかすんで見えなくなってきていました。上手く兄のふりをしていれば気づかれずに済むと確信したのだと思います。

早速、この作戦をヤコブさんに伝えました。ヤコブさんは喉から手が出るほど祝福がほしいという思いはありましたが、父をだまして祝福を得るというのは、さすがに良くないことであるという思いにかられます。

しかも、兄と弟では決定的な違いがありました。エサウさんは毛深くて「全身が毛皮の衣のようであった」(創世記25:25)ということです。それに対して、ヤコブさんは、「肌は滑らか」(創世記27:11)でした。いくら父親の目が見えなくなってきているとはいえ、この特徴ゆえに体に触れればどちらであるかの区別はすぐにつきます。

ヤコブさんはそんな心配事とともに、父をだますというこの作戦を決行することをためらいました。

しかし、母はそんな息子を説得し、イサクさんをだますために周到に準備を整えました。そして、ヤコブさんも母の言葉に従い、父親をだまして祝福を得るという作戦に加担していったのでした。

「ヤコブは取りに行き、母のところに持って来たので、母は父の好きなおいしい料理を作った。リベカは、家にしまっておいた上の息子エサウの晴れ着を取り出して、下の息子ヤコブに着せ、子山羊の毛皮を彼の腕や滑らかな首に巻きつけて、自分が作ったおいしい料理とパンを息子ヤコブに渡した。」(聖書 創世記27:14∼17 新共同訳)

果たしてこの作戦は成功するのでしょうか。しかし、たとえ父をだますことに成功したとしても、祝福の与え主である神様の目を欺くことはできません。