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「問題の原因を手放す」

エサウさんとの再会を果たし、これでやっと心を落ち着けて暮らしていけると思ったヤコブさんでしたが、またしても頭を抱える出来事が起こってしまいました。

ヤコブさんは沢山の子どもに恵まれていました。ある時、その中のディナという娘が、ヤコブさんたちが住むことになった土地に暮らしていた女性たちに会うために出かけて行きました。

そこでトラブルが起こりました。「その土地の首長であるレビ人ハモルの息子シケムが彼女を見かけて捕らえ、共に寝て辱めた。」(聖書 創世記34:2 新共同訳)

そして、シケムはディナを愛する故にヤコブさん家族のもとに結婚の許可を申し出ました。

この出来事に激怒したのはヤコブさんの息子たちでした。自分の妹になんてことをしてくれたんだ。そんな思いから、兄弟の中の二人がとんでもない行動に出てしまいました。

「ヤコブの二人の息子、つまりディナの兄のシメオンとレビは、めいめい剣を取って難なく町に入り、男たちをことごとく殺した。ハモルと息子シケムも剣にかけて殺し、シケムの家からディナを連れ出した。」(聖書 創世記34:25∼26 新共同訳)

その後、町中のものを略奪し、財産や家畜、更には女性や子どもまでも捕虜として連れて行ってしまいました。

確かに、シケムが自分の妹にしたことに激怒するのはわかります。しかし、その出来事に対する倍返しをしたことによってとんでもない惨劇が行われてしまいました。

この問題が起こった原因に目を向けると、大切なことが見えてきます。ディナは神様を礼拝する家族のもとを出て、偶像礼拝を行う町の女性たちの所へ向かいました。

更に、この倍返しを行ったヤコブさんの家の中にも神様から目をそらす偶像の神々が入り込んできていました。

安全な道を外れて行く時、そこには危険が伴います。また、自分のところに危険なものを持ち込む時、その影響は中から広がります。それは、私たちの心に倍返し以上の憎しみや憎悪を起こすこともあります。

神様が望まれる道へ戻るため、また、神様が望まれないものを手放すため、ヤコブさんはこのように言いました。

「お前たちが身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい。」(聖書 創世記35:2 新共同訳)

「全てが晴れた」

夜明けまで真剣に祈りながら神様と格闘したヤコブさんは、心からの悔い改めと求め続ける真剣な祈りによって神様から祝福を与えられました。

兄の留守に父をだまして祝福を奪い取った時とは全く異なる心境だったことと思います。

ヤコブさんはこの戦いで足を負傷してしまいました。この負傷は、普通であればかなりのマイナスとなってしまったことと思います。何故なら、進む先からは兄のエサウが400人を連れてこちらへ向かって来ていたからです。勿論、ヤコブさんは争うつもりはありませんでしたが、万が一のことも視野にいれていました。もし怒った兄と400人に襲い掛かられたとしたら、この身体では逃げることすら叶いません。

こんな状態になってしまったからには、やはり引き返した方がいいのではないかと考えてしまいそうです。

しかし、ヤコブさんは逃げることなく進んでいきました。それは、あの徹夜の祈りを通して赦しの確信を得ることができたからです。神様が必ず道を備えてくださる。そのように信じて進んで行ったのではないかと思います。

そして、いよいよその運命の時をむかえることとなりました。一度は、もしかしたら赦されることなく、滅ぼし尽くされるかもしれないと思った兄エサウと400人の集団が見えてきました。

ヤコブさんが自分の隊列の先頭に行き、エサウに持てる限りの誠意をもって挨拶をしました。

すると、驚くべきことがおこりました。

「エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。」(聖書 創世記33:4 新共同訳)

赦しが現実のものとなった瞬間でした。怒りや憎しみ、後ろめたさなど、様々な感情が入り乱れる中で会うことすらできない状態になっていた兄弟が、神様の計らいの中で再会を果たすことができた素敵な瞬間でした。

「祝福をもらえるまでは」

エサウさんとの再会を目前にし、ヤコブさんは一緒に旅をしている家族を先に行かせ、独り祈りの時を持ちました。

暗い夜の闇の中で、ヤコブさんは自分の罪を思い返しながら、祈り始めました。すると、その暗闇の中で誰かがヤコブさんに襲い掛かって来ました。ヤコブさんは誰だかわからないその相手に必死に応戦します。

しかし、その戦いの中においても、ヤコブさんは自分の罪の重さに苦しみ、真剣にその赦しを求めて祈っていました。

その戦いは両者一歩も引かない長期戦へと突入していきました。そして、いよいよ夜が明ける頃になった時、襲い掛かって来た相手は、ヤコブさんの腿の関節に改心の一撃を与えました。そして、そこから去ろうとしています。

その時、ヤコブさんは自分が一体誰と格闘していたのかということに気が付きます。その相手とは、まさにヤコブさんが罪の赦しを求めて戦いながらも真剣に祈り続けていた相手である神様でした。

そこでヤコブさんは、そこから去らすまいと必死にしがみつき、こう言いました。

「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」(聖書 創世記32:27 新共同訳)

ヤコブさんの心からの悔い改めと赦しを求める祈りを聞かれた神様は、ヤコブさんの願い通りその場所でヤコブさんを祝福されたのでした。

神様は、私たちが心から悔い改めて神様がお与えになりたいと思っている罪の赦しという祝福を真剣に求める時、必ずそれを与えてくださいます。

「神様の臨在」

20年前、兄の怒りを恐れて独り逃亡の旅に出たヤコブさんは、今度は故郷に向けてその来た道を歩き始めました。

しかし、ヤコブさんには大きな不安がありました。それは、20年前の出来事が何も解決していなかったということです。

故郷に帰りたい。しかし、帰れば自分が長子の特権を騙し取った兄のエサウさんがいる。恐らく、謝って赦してもらえるような次元の話ではありません。もしかすると自分の命が危険にさらされるかもしれないという不安もあったと思います。

そんな不安を抱えながらも神様の約束を信じて故郷を目指すヤコブさんに対して、神様は励ましをお与えになりました。

「ヤコブが旅を続けていると、突然、神の御使いたちが現れた。」

(聖書 創世記32:2 新共同訳)

神様が共にいてくださるから大丈夫。ヤコブさんはそんな気持ちになったことと思います。

しかし、またすぐにヤコブさんを不安にする出来事が訪れます。ヤコブさんは故郷に戻るにあたり、兄のエサウさんのもとに使いを送りました。

兄はまだ怒っているのだろうか。もしかすると20年も前のことだから、もう赦してくれているかもしれない。そんな期待もしながらの御機嫌伺でした。

しかし、戻ってきた使いの者によれば、兄は400人のお供を連れてこちらに向かって来るということでした。

怒っているのか赦してくれているのかの情報はありません。しかし、もし怒りのまま400人もの人たちに襲い掛かられたら、自分も自分の家族も財産も太刀打ちすることはできません。

ヤコブさんは色々と試行錯誤しながら万が一のことを考え、一緒に旅をしている人や財産を二組に分けました。

一方がやられてしまっても、もう一方が生き残れると考えたからです。先発隊を送り出したヤコブさんは、もう一度神様との真剣に向き合う時を過ごすこととなります。

「神様が言ったから」

家族の協力のもと、ラバンさんの留守を見計らって故郷へ向けて脱出したヤコブさんでしたが、さすがにそこまでの大所帯がいきなり家から消えていたらラバンさんが気づかないはずがありません。

ラバンさんがそのことに気が付いたのは、ヤコブさんが脱走して三日目のことでした。

自分の財産を増やしてくれる働き者のヤコブさんが、自分の目を盗んで逃げだして行ってしまった。更には、自分の娘や孫たちに別れを告げることもさせてくれなかった。そんな怒りか

ら、ラバンさんの追跡が始まります。

きっと、ラバンさんが従えて行った人たちの人数からして、ヤコブさんたちに勝ち目はありません。捕らえられて連れ戻されてもおかしくありませんでした。

さて、ラバンさんは追跡の結果、山の上にいるヤコブさんたちを見つけました。そして、ヤコブさんに詰め寄ります。ヤコブさんたちにとっては、「また連れ戻されてしまうのでは」という絶体絶命の状況でした。

しかし、色々と言われたあとに、ラバンさんの口から驚きの言葉が語られました。

「わたしはお前たちをひどい目に遭わせることもできるが、夕べ、お前たちの父の神が、『ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい』とわたしにお告げになった。」(聖書 創世記31:29 新共同訳)

ヤコブさんに対して「故郷に帰りなさい」と言ったのは神様でした。その神様は、ヤコブさんを守るためにラバンさんの所に来てこのように忠告をされました。

「ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい。」(聖書 創世記31:24 新共同訳)

神様が「行きなさい」と言われる時、しっかりとその道を備えてくださいます。「わたしが共にいる」と言われる神様に従う時に、それを実感することができるんだということをヤコブさんの経験を通して教えてくれています。