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「誠実さ」

「ヨセフはエジプトに連れて来られた。ヨセフをエジプトへ連れて来たイシュマエル人の手から彼を買い取ったのは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長のエジプト人ポティファルであった。」(聖書 創世記39:1 新共同訳)

愛する父から遠く離れた地へと売り飛ばされたヨセフさんがたどり着いた場所は、エジプトという異国の地でした。そこでヨセフさんは、エジプトの王様に仕えるとても地位のある役人の家の奴隷へと買い取られたのでした。

自分に対してこんな酷い仕打ちをした兄たちのこと、もう二度と会えないであろう父親のこと、そして、自分が何故こんなことにならなければいけないのだろうか。ヨセフさんは、そんなことを考えていたことと思います。

しかし、エジプトの地に着くと、そんな感傷に浸る暇もないくらいに忙しい日々が待ち受けていました。

新しい言葉を覚え、新しい文化を学び、家のしきたりに慣れ、仕事をこなす。そんな日々が始まりました。

普通なら、「なんでこんなことにならなければいけないんだ」と嘆きながら、ふて腐れて抵抗してもおかしくないような状況でした。もしかすると、他の奴隷たちの中にはそのような態度の人がいたかもしれません。

しかし、そんな中にあってもヨセフさんはひと際目立つ存在として一目置かれるようになりました。

「主が共におられ、主が彼のすることをすべてうまく計らわれるのを見た主人は、ヨセフに目をかけて身近に仕えさせ、家の管理をゆだね、財産をすべて彼の手に任せた。」(聖書 創世記39:3~4 新共同訳)

ヨセフさんは、ふて腐れたり、抵抗したりすることなく、神様に従う者として、誠実に主人に仕えました。

その姿を見たポティファルは、「こいつは何かが違う」と感じたのだと思います。そして、ヨセフさんに全てを任せることによって、この家は大きく祝福されていきました。

どのような境遇にあっても、神様が共におられることを忘れずに、置かれた境遇にあって、任されたことに誠実に生きていくことはとても大切なことであると学ぶことができますね。

そして、これも全て神様のご計画のうちにあったことでした。

「主がヨセフと共におられたので、彼はうまく事を運んだ。彼はエジプト人の主人の家にいた。」(聖書 創世記39:2 新共同訳)

「着物についた血」

兄たちの憎しみの結果、命を狙われることになってしまったヨセフさんでしたが、長男ルベンの憐みの心によって何とか命拾いすることができました。

しかし、穴に投げ入れられた後、通りかかった奴隷商人へと売られることになってしまいました。

「ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。」(聖書 創世記37:28 新共同訳)

この出来事は、後でこっそり穴から助け出そうとしていたルベンさんにとっては大きな誤算でした。

ヨセフの事を愛していた父親に対してどう説明したらよいのか。そんな思いでいっぱいだったことと思います。それは他の兄弟たちも同じことでした。まさかヨセフを奴隷商人に売り飛ばしたなんて口が裂けても言うことはできません。

しかし、兄弟たちには計画がありました。それは、ヨセフがあたかも不慮の事故にあったかのように見せかける偽装工作をするということでした。さっそく作戦を実行に移しました。

「兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。」(聖書 創世記37:31 新共同訳)

そして、この着物を使いの者に託し父の所へと送り届けさせることで、自分たちは問題に関わらずに事を済ませることにしたのでした。

本当ならば、兄たちの憎しみのためにヨセフさんは血を流して命を落としていたかもしれませんでした。しかし、この時、ヨセフさんの代わりに動物が血を流して命を落とすこととなりました。

イエス様も私たちを生かすために十字架で血を流し、命を捨ててくださいました。私たちはその犠牲によって新しい命を頂くことができました。

「穴からの救出」

 

父のおつかいで、兄たちの安否を確かめるために長旅を続けてきたヨセフさんは、ついに遠くの方に兄たちの姿を見つけることができました。

普通の兄弟であれば、長旅に対する労いの時を過ごすことと思いますが、この家族においてはそうはいきませんでした。

父親の偏った愛を受けている憎き弟の姿を見つけた兄たちは、恐ろしくも悲しい考えを抱くことになりました。

「兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、相談した。『おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。』」(聖書 創世記37:18∼20 新共同訳)

父のもとから遠く離れた地において、弟の命を奪ってしまおう。しかも、長旅の中で獣に襲われたと言えば父親も不思議に思うことはない。兄たちは弟を憎むあまりそんな恐ろしい計画を相談し合ったのでした。

そんな中で、唯一長男のルベンさんだけは反対の意を示しました。そこでヨセフさんは、まず水が空になっていた貯水穴に投げ入れられました。ルベンさんは後でこっそり助け出そうと考えていたようでした。

すると、次に兄弟のユダさんが新たな提案をしました。

「弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」(聖書 創世記37:26 新共同訳)

そして、兄弟たちはヨセフさんを穴から引き上げて奴隷商人へと売り飛ばしてしまったのでした。奴隷になることは、死ぬよりも恐ろしいと思われていたようです。どうやらこの時ルベンさんは席を外していたようで、それを止めることができませんでした。

しかし、この奴隷商人が通りかかったことによって、ヨセフさんは命が助かったのでした。人間的に見れば、恐ろしい道へ足を踏み入れたように見えますが、これもヨセフさんを導く神様の大きな計画の中にあることでした。神様がヨセフさんを通して示された「夢」は、未来を預言しているものでした。神様の預言は、人間の力によって頓挫することはありません。

 

「おつかい」

父親から特別扱いを受けていた上に、頭にくるような夢の話をしている弟ヨセフに対して、大きな怒りと憎しみを抱いていた兄たちは、羊の群れを率いて仕事にでかけていきました。

働くために羊を連れて出かけて行った息子たちに対して、父ヤコブさんは不安をかかえていました。

それは、以前息子たちが妹が辱めにあった時、多くの人を虐殺するという大惨事を起こしたという過去があったからでした。

そんな不安を安心に変えようと、大事な息子ヨセフさんをおつかいにやることにしました。

「『兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。』『はい、分かりました』とヨセフが答えると、更にこう言った。『では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。』父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。」(聖書 創世記37:13∼14 新共同訳)

父ヤコブさんは、これで一安心と思ったことと思います。しかし、彼は大事なことに気が付いていませんでした。それは、自分のえこひいきのせいでヨセフさんが兄弟たちから憎まれていたということでした。

もし、それに気が付いていたら、大事な息子を兄たちのもとにおつかいにやることはなかったかもしれません。ヤコブさんは、今一番危険な場所へと大事な息子を遣わしたのでした。

神様も、大事な独り子を私たちのためにこの世に送ってくださいました。そこは、罪の支配の中にある危険な暗闇でした。そして、そのおつかいの結果は、人々から妬まれ、ののしられ、十字架にかけられるというものでした。

しかし、愛の神様はその危険な場所において、光を見いだすことができるようにとイエス・キリストという方を送ってくださいました。