日別アーカイブ: 2021年2月18日

「信頼を得る」

忘れられていたお願いを思い出されたヨセフさんは、王様の見た夢を解き明かすことができる期待の存在として牢獄から出され、身なりをエジプト流に整えられてから王様のもとへと連れて来られました。

「ファラオはヨセフに言った。『わたしは夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが。』ヨセフはファラオに答えた。『わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。』」(聖書 創世記41:15∼16 新共同訳)

夢の解き明かしができるということについては、ヨセフさん自身も既に牢獄で経験しており神様に信頼をおいているので何も心配いらなかったことと思います。

しかし、ヨセフさんはこのエジプトのトップの前に召し出されても、自分は夢の解き明かしができるんだというようなおごり高ぶるようなことはなく、神様の業であるということを伝えました。

そして、夢に悩まされていたファラオは、目の前にいるヨセフという外国人に対し、自分の見た夢を語り始めました。

もしかすると、ここでヨセフさんがとった態度次第ではファラオの機嫌を損ね、ヨセフさんだけではなく、それを紹介した給仕長も再び命の危険を感じるような状況になりかねなかったかもしれません。

しかし、それでも給仕長が思い出したヨセフという牢獄にいた外国人を紹介したのは、ヨセフさんなら大丈夫だという確信があったからかもしれません。

外国の地においても、どん底まで落とされたような思いのする経験をすることとなったヨセフさんでした。しかし、いつも神様の栄光をあらわす生き方、選択、受け答えをしていることで周囲の信頼を得ていきました。そして、その誠実さを通し、牢獄という辛い場所からエジプトのトップであるファラオの前でファラオを助けるという状況にまで引き上げられたのでした。

そのように、神様はしっかりと導いてくださっていました。