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「父の信仰」

ヨセフさんは、ファラオとの会見を通して、「羊飼い」というキーワードを用いることで兄弟家族の信仰生活を守る道を備えました。

 兄弟たちとファラオの挨拶も無事に済むと、今度は自分の父親をファラオに紹介することとなりました。

 ファラオとしても、自分の夢を解き明かし、このエジプトの国をここまで導いてくれたヨセフという人物の父親ですので、是非会いたいと思っていたのではないかと思います。

 ヤコブさんとファラオのやりとりはこうでした。

ファラオが、「あなたは何歳におなりですか」とヤコブに語りかけると、ヤコブはファラオに答えた。「わたしの旅路の年月は百三十年です。わたしの生涯の年月は短く、苦しみ多く、わたしの先祖たちの生涯や旅路の年月には及びません。」

(聖書 創世記 47:8-9 新共同訳)

 ヤコブさんは130歳という年齢になっていましたが、自分の先祖たちに比べるとまだまだ短いと謙虚な姿勢であるとともに、その年齢になって住み慣れた場所を離れてエジプトの国に移り住むというのは相当な決心だったのではないかと思います。

 しかし、ヤコブさんは、人生を旅路だと言っているように、この世に安住の地を求めるのではなく、神様が備えてくださる御国を目指して歩むという確かな信仰を持っていました。それが、この年齢にして旅立つことができた大きな理由だったのではないかと思います。

 そんな謙虚な受け答えをしたヤコブさんでしたが、ファラオと会った際にこんなことをしていました。

 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた。(聖書 創世記 47:7 新共同訳)

ファラオに対して述べた祝福の言葉というのは、「王様、あなたは素晴らしいです」といおうものではありませんでした。そうではなく、ファラオよりも偉大な天におられる神様を信じ、従う者として、天来の祝福の言葉を述べたのでした。

このように、短いやりとりの中でしたが、終始自分の信仰を示し続けた130歳のヤコブさんでした。

「質問の答え」

 兄弟たちが家族を連れてエジプトへとやって来たことを報告するために、ヨセフさんはファラオのもとへ行きました。

 その際に、兄弟の中から数人選び、挨拶のために一緒にファラオのもとへ連れて行きました。すると、ヨセフさんが兄弟たちに伝えておいた通りの質問が待ち受けていました。

ファラオはヨセフの兄弟たちに言った。「お前たちの仕事は何か。」 兄弟たちが、「あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、羊飼いでございます」と答え、更に続けてファラオに言った。「わたしどもはこの国に寄留させていただきたいと思って、参りました。カナン地方は飢饉がひどく、僕たちの羊を飼うための牧草がありません。僕たちをゴシェンの地に住まわせてください。」  (聖書 創世記 47:34 新共同訳)

 ファラオからの質問は、「仕事は何か」というものでした。これに対しては、羊飼いと答えるようにと事前の打ち合わせで伝えてありましたので、その質問をされた兄弟たちはしっかりと予定通りの応答をしました。

 ここには大きな誘惑がありました。エジプトの国を任せているヨセフさんの兄弟たちですから、ファラオとしても兄弟たちに対してそれなりの地位を与えようと考えていたことと思います。

 また、そのような地位をもらえるとなれば、目がくらむことがあったかもしれません。もしそのような流れになってしまったとしたら、この家族はエジプトという異教の文化の中に取り込まれてしまうことになっていたかもしれません。結果、神様を礼拝する者としての忠実な歩みが困難になってしまう恐れがありました。

 しかし、神様はヨセフさんを通して兄弟たちに「羊飼い」と答えさせることで、その危険から守ってくださいました。

 更に、兄弟たちがファラオの質問に対する答えの際、自分たちは寄留者であり、永住するつもりでいるわけではないということをハッキリと伝えたことで、エジプトという国に完全に入り込むのではなく、あくまでも寄留者であり、再び旅立つこともあるということをファラオに示しました。

 私たちは、神様の御国を目指して歩んでいます。聖書は、この世は仮住まいであると言っています。私たちも、ヨセフさんの兄弟たちのように、この仮住まいにおいて地位や名誉を得ることではなく、神様に忠実であることが大切であると聖書は教えてくれます。

「羊を飼う理由」

ついに、長い間死んだと思っていた愛する息子と再会する時を迎えた父ヤコブさんは、あまりの嬉しさにこう言いました。

イスラエルはヨセフに言った。「わたしはもう死んでもよい。お前がまだ生きていて、お前の顔を見ることができたのだから。」(聖書 創世記 46:30 新共同訳)

 いつ自分の寿命が尽きたとしても、もう何も悔いはないというような心の表れだったと思います。

 それほどまでに、ヤコブさんにとっては大きな出来事でした。憎み合っていた兄弟が助け合い、恨みを抱くこともなく許しあっている。長年かかって、やっと家族らしい交わりを持つことができるようになった瞬間でした。

 そんな家族にヨセフさんはある指示を出しました。

ですから、ファラオがあなたたちをお召しになって、『仕事は何か』と言われたら、『あなたの僕であるわたしどもは、先祖代々、幼い時から今日まで家畜の群れを飼う者でございます』と答えてください。そうすれば、あなたたちはゴシェンの地域に住むことができるでしょう。」 羊飼いはすべて、エジプト人のいとうものであったのである。

(聖書 創世記 46:33-34 新共同訳)

 今からファラオと会うにあたり、職業を尋ねられたら羊飼いと返事をするようにという指示でした。

 実は、これが今後の彼らの人生や信仰生活を大きく左右するものとなっていきました。エジプトにはエジプトの文化があり、宗教があります。アブラハム、イサク、ヤコブの神を信じ礼拝するこの家族にとって、エジプトの地は大きな誘惑となる場所でもありました。このままエジプトで暮らすことは信仰生活に影響を及ぼすことになります。

 しかし、職業を羊飼いと答えることで、エジプト人とは一線引いた生活をすることが可能でした。理由は、羊飼いというのがエジプト人からは避けられていた職業だったからです。

 そのような仕事をする彼らが暮らす地域にわざわざ入り込んでくるエジプト人はいません。そのことを通して、イスラエル民族はのびのびと暮らすことができるのでした。

 結果的に、それが彼らの繁栄につながり、信仰を保っていくための大切な保護となっていたのでした。

 神様は、このエジプトの地で彼らを特別に保護することで、神様の民を守られ、その数を確実に増やしていかれたのでした。

「拘りを捨てる」

ヤコブはベエル・シェバを出発した。イスラエルの息子たちは、ファラオが遣わした馬車に父ヤコブと子供や妻たちを乗せた。 ヤコブとその子孫は皆、カナン地方で得た家畜や財産を携えてエジプトへ向かった。 こうしてヤコブは、息子や孫、娘や孫娘など、子孫を皆連れてエジプトへ行った。 (聖書 創世記 46:57新共同訳)

神様からエジプトへ下ることを恐れてはならないと言われたヤコブさんは、ファラオさんから送られた馬車に乗ってエジプトの地へと進みました。

ヤコブさんと息子たちだけではなく、その家族も含めて皆でエジプトの地を目指しました。

ここまで大所帯にも関わらず、兄弟誰も欠けることなく、また、仲間割れして離脱することなくエジプトへ向かうことができたのは、この家族が本当に神様によって成長させられたということの証だったのではないかと思います。

また、それを願って「途中で争わないでください」と言ったヨセフさんの言葉も兄弟たちの心に響いていたのかもしれません。

そして、聖書はエジプトの地へ向かった家族についてこのように記しています。

ヤコブの腰から出た者で、ヤコブと共にエジプトへ行った者は、ヤコブの息子の妻たちを除けば、総数六十六名である。エジプトで生まれたヨセフの息子は二人である。従って、エジプトへ行ったヤコブの家族は総数七十名であった。(聖書 創世記 46:2627 新共同訳)

さて、この大所帯がエジプトの地に入るにあたり、ある人物がヤコブさんからお遣いを頼まれました。

ヤコブは、ヨセフをゴシェンに連れて来るために、ユダを一足先にヨセフのところへ遣わした。そして一行はゴシェンの地に到着した。(聖書 創世記 46:28 新共同訳)

こお大所帯の族長ヤコブさんから、代表に任命されたのはユダさんでした。これは、ただ単にお遣いを頼みますというだけではなく、この一族の中で父から相続を受ける立場にある存在であるということを示すものでもありました。

ヤコブさんは、昔、他の兄たちをさしおいてヨセフさんを溺愛していた過去がありました。そして、そのヨセフさんを失った後、その偏愛はベニヤミンさんに向けられました。今までのヤコブさんであれば、相続はベニヤミンさんにと言って譲らなかったのではないかと思います。

 しかし、今、この家族の長は、偏愛する息子ではなく、年齢的にもふさわしく、経験やリーダーシップもあるユダさんを代表と認め、送り出したのでした。

 神様は、私たちの持つ偏った拘りを打ち砕き、成長させてくださる方です。