「神が備えてくださる」

アブラハムさんが、愛する息子を献げ物として献げるようにと神様からの命を受け、苦しみながらもその言葉に従った時、直前で手をとめさせ、身代わりの小羊を与えてくださいました。そして、神様は彼の信仰を見て祝福されました。

この出来事には、もう一人の信仰者が登場します。それが、アブラハムさんの愛する息子イサクでした。

彼は、いつものように父親とともに神様を礼拝するために出発しました。しかし、一つ不思議なことがありました。そこで父アブラハムにこう尋ねました。

「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」(聖書 創世記22:7 新共同訳)

当然、父は本当のことを答えることができません。何故なら、その献げ物はその質問をしてきたイサク自身だったからです。私たちなら何と答えるでしょう。

いよいよ祭壇に薪を置き、献げ物を献げる時がやってきました。そして、イサクの質問対する答えが明らかにされました。

「自分が今から祭壇の上で焼き尽くす献げものとして献げられるんだ」。これを知ったイサクさんはどのように思ったのでしょうか。

「そんなのは嫌だ」と言って、年老いた父を突き放して逃げることもできたと思います。しかし、彼は逃げも隠れもしませんでした。

そうではなく、父の信じる神様の言葉に、イサク自身も従って行ったのでした。この後の結果を知っている私たちは、安心してこの出来事を読み進めることができますが、当事者たちにとっては本当にとてつもない経験だったに違いありません。

さて、このとてつもない経験を目の前にして、息子から献げ物はどこにあるのかという質問を受けた時、父はこう答えていたのでした。

「『わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。』二人は一緒に歩いて行った。」(聖書 創世記22:8 新共同訳)

この信仰こそが、親子二人が一緒に神様に信頼して歩ことができた大きな要因でした。