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「神を畏れる」

虐待によってイスラエル人の勢力を弱めようとしたエジプトでしたが、彼らは増える一方でした。

 そこで、エジプト王は恐ろしい計画を実行に移しました。

エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。一人はシフラといい、もう一人はプアといった。「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」 (聖書 出エジプト記 1:1516  新共同訳)

 生まれたそばから男児の命を奪う。これが、エジプトの作戦でした。将来戦力となりうる男児の命を奪うことで、イスラエルの力を弱めることができるからです。

 その計画を実行するにあたって、出産に立ち会う人間に殺害命令を出しました。しかし、この役割を命じられた2人は、命令に従うことはしませんでした。理由は明確でした。

助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。 (聖書 出エジプト記 1:17 新共同訳)

 この2人は神様を畏れ敬う人たちでした。エジプトの王に逆らうことで自分たちも命の危険にさらされることがあるかもしれません。しかし、この2人が畏れたのは、エジプト王ではなく神様でした。

しかし、命令に反したことを隠すことはできません。当然、エジプト王の知るところとなりました。

 エジプト王は彼女たちを呼びつけて問いただした。「どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか。」助産婦はファラオに答えた。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。 助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた。

(聖書 出エジプト記 1:18-21 新共同訳)

 神を畏れる2人は、神様の知恵によってこの難局を切り抜け、ヘブライ人の命を救ったのでした。そして、神様はこの2人をも大きく祝福されました。

 人間ではなく、神様を畏れる歩みによって、大きな祝福が与えられた出来事でした。

「増え広がる」

 エジプト内に住むイスラエルという民族の繁栄に脅威を感じたエジプト側は、迫害をすることでこの民族をコントロールしようと試みました。

しかし、虐待されればされるほど彼らは増え広がったので、エジプト人はますますイスラエルの人々を嫌悪し、イスラエルの人々を酷使し、粘土こね、れんが焼き、あらゆる農作業などの重労働によって彼らの生活を脅かした。彼らが従事した労働はいずれも過酷を極めた。(聖書 出エジプト記 1:1214 新共同訳)

勢力を弱めるために虐待を始めたはずが、何故か彼らはそれに比例してどんどんと増え広がっていきました。

虐待すればするほど繁栄する状態には、さすがにエジプトとしても苛立ちを隠せない状況になります。そこで、イスラエル人に対する迫害は更に大きなものへとなっていきました。

日陰のない場所で、朝から晩まで働かされる状況は、本当に過酷な状況だったことと思います。

しかし、たとえどんな状況に追い込まれても彼らが増え広がり続けていたことからも、神様が共にいて彼らを導いてくださっていることを感じることができます。

2世紀末頃に弁証家が「キリスト者の血は種である」という言葉を残しました。これは、迫害されて血が流れても、キリスト教を根絶やしにすることができなかったことをよく表している言葉です。

神様に従う歩みには、確かに困難があるかもしれません。しかし、同時にそこには確かに神様が共におられ、導いてくださいます。

 たとえ迫害が大きくても、労働環境が厳しくなって酷使されたとしても、イスラエルの人々は完全に根絶やしになることはありませんでした。  しかし、エジプトは更なる作戦へと移ります

「繁栄と迫害」

エジプトで大きな地位を得たヨセフさんとその兄弟たちは年老いて眠りにつきました。

それでもどんどん繁栄が続き、イスラエル人のコミュニティは大きくなっていきました。

 しかし、この異国の地における繁栄が火種となり、大きな試練の時がやってくることになりました。

そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、国民に警告した。「イスラエル人という民は、今や、我々にとってあまりに数多く、強力になりすぎた。抜かりなく取り扱い、これ以上の増加を食い止めよう。一度戦争が起これば、敵側に付いて我々と戦い、この国を取るかもしれない。」(聖書 出エジプト記 1:8-10  新共同訳)

イスラエル人の繁栄は、神様の約束であり、大きな祝福のあらわれでした。しかし、エジプトの王からすると、その繁栄は自国に牙をむく勢力になりかねないという危機を感じるものでありました。

こうして、ヨセフさんを通して築き上げられたイスラエル人とエジプト人の友好関係に終止符が打たれることとなりました。

エジプト人はそこで、イスラエルの人々の上に強制労働の監督を置き、重労働を課して虐待した。イスラエルの人々はファラオの物資貯蔵の町、ピトムとラメセスを建設した。(聖書 出エジプト記 1:11  新共同訳)

神様に従う歩みは大きな祝福となります。しかし、サタンの勢力にとって、その繁栄は決して面白くないものであり、全力で阻止しようと攻撃してきます。まさにイスラエルの人々は、そのような状況に追い込まれ始めたのでした。

私たちも、神様に従う歩みをする時、サタンの攻撃の大きさを感じることがあります。信仰を持ち、神様のみ言葉に聞き従う時、それがより大きなものであると感じるかもしれません。

しかし、神様は、ご自分に信頼して従う者を決してお見捨てにはなりません。この後、イスラエルの人々はエジプトの地で奴隷の身分となっていきますが、神様はそこに1人の指導者を立て、そこから救い出す計画を持っておられました。

「約束の成就」

ヤコブの腰から出た子、孫の数は全部で七十人であった。ヨセフは既にエジプトにいた。 ヨセフもその兄弟たちも、その世代の人々も皆、死んだが、イスラエルの人々は子を産み、おびただしく数を増し、ますます強くなって国中に溢れた。

(聖書 出エジプト記 1:57 新共同訳)

 聖書は、ヤコブさんが多くの子孫に恵まれたことを記しています。そして、エジプトの地に移り住んだヤコブとその息子たちの世代が死んでしまった後も、その繁栄の祝福は続いていきました。

 振り返ると、アブラハムさんの時代から神様は何度もこの祝福を約束してくださっていました。

あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。(聖書 創世記 22:17 新共同訳)

 これは、神様がアブラハムさんに対し、大事な息子のイサクさんを犠牲のささげものとして献げるようにと命じられた時、その命令に忠実であろうとしたアブラハムさんに対して語られた約束でした。

 そして、エジプトに行くことを思い悩むヤコブさんに対してもこのように約束しておられました。

神は言われた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」

(聖書 創世記 46:34 新共同訳)

 このように、神様はエジプトの地で約束を実現してくださっていました。しかし、神様はこんなことも言っておられました。

主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。

(聖書 創世記 15:1314 新共同訳)

 外国の地で奴隷となる。そして、苦しめられるであろう。神様の言われたことは必ず成就します。今から、この神様の言葉が現実のものとなろうとしていました。

 しかし、同時に「彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう」という希望の言葉も与えられていました。この言葉も同じく実現していくこととなります。