ショートメッセージ」カテゴリーアーカイブ

「目標を目指して」

新年明けましておめでとうございます。2020年がスタート致しました。今年もよろしくお願い致します。

元旦に初日の出を御覧になった方もおられると思います。私は毎年朝早く起きられず、日が昇ってしまっているというのが毎年恒例でした。今年も、そんな毎年恒例の元旦でした。

そんな中、真夜中に高尾山に登り、5時間も粘って高尾山からの初日の出をカメラに収めた青年がいました。

その頑張りの結果撮影された高尾山からの初日の出の写真を是非載せさせてほしいとお願いしましたところ、快く許可を頂きましたので、掲載いたします。

「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召してお与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(聖書 フィリピの信徒への手紙3:13∼14 新共同訳)

聖書は、目標を目指してひたすら走るようにと言っています。キリストを救い主として信じる私たちは、天からイエス様が私たちを迎えるためにもう一度戻って来られるのを待っています。

その時に私たちは今の苦しみや困難とは比べものにならないような素敵な賞を頂くことができます。今年もしっかりとその目標を目指してひたすら走って行きましょう。

年が明け、キリストの再臨の日がまた近づきました。この素晴らしい目標をまだ御存知ない方とも共有し、御一緒に賞を頂きましょう。

「取り除く」

クリスマスが終ると、巷はお正月の準備モードです。家の大掃除はもう終わられたでしょうか。

中には、一年間ため込んでしまった汚れと格闘された方もおられるかもしれません。聖書の中に、“あるもの”が沢山溜まってしまった場所を綺麗にする大事な作業があるということが記されています。

 「こうして彼は、イスラエルの人々のすべての罪による汚れと背きのゆえに、至聖所のために贖いの儀式を行う。彼は、人々のただ中にとどまり、さまざまの汚れにさらされている臨在の幕屋のためにも同じようにする。」(聖書 レビ記16:16 新共同訳)

“あるもの”とは、人間の“罪”でした。昔、聖所という場所で人間の罪の身代わりとして動物の血が流れていました。人間の罪を動物に(象徴的に)移し、罪を移された動物が血を流し、その流れた血を聖所という聖なる空間のなかへと運んでいきました。

これによって、動物に身代わりとなってもらった人の罪は、聖所の中に溜まっていきました。

しかし、忘れてはならないのは、まだそれが溜まったままだということです。溜まったものを取り除かなければ汚いままです。そのために大祭司と呼ばれる人が溜まったものを取り除く作業を行います。

これは、旧約聖書に書かれていることですが、私たちの罪も同じように天の聖所に溜まっています。今現在、それを綺麗にする作業が天において行われています。私たちの救い主イエス様が、今度は天の聖所の大祭司として働いてくださっています。

この働きにより、イエス様の十字架の救いを受け入れた人たちの罪は、きれいに取り除かれます。イエス様は、年末年始問わず、常に私たちのために働いていてくださるお方です。

「剣を鋤に」

今年の夏過ぎから、顧問として大学のハンドベルに関わらせて頂いています。私はハンドベルをやったことがありませんので、演奏の面でのお手伝いではなく、練習にお邪魔して一緒に夕食を頂き、夕礼拝でお話をするということで関わっていました。

ハンドベルはやったことがありませんが、中学時代から友達がハンドベルで演奏する姿を間近で見てきましたので、どれだけ難しいことをしているのかということは何となく理解していました。

複数の人たちでドレミファソラシドの音階を分担して鳴らすため、ベルを鳴らすタイミングが一人でもズレてしまうと、旋律が崩れてしまいます。また、鳴らしそびれてしまうと、そこだけ音が抜けてしまうことになります。一人一人の責任がとても重い楽器だなと思いながら聴いていました。また、ピリピリした関係の人たちが演奏したら、きっとテンポを合わせるのも難しいのだろうなと思って見ていました。

しかし、皆が心を一つにし、息がピタッとあった時の演奏は、まるで一人の人が奏でているかのような素敵な音楽になります。(これらは、あくまでもハンドベルを演奏したことがない私の主観ですが。)

「主は多くの民の争いを裁き はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。」(聖書 ミカ書4:3 新共同訳)

神様が、クリスマスに送って下さった独り子イエス様は、平和の君と呼ばれる方です。その方の与えてくださる平和は、争いのために持っていた武器を命の糧を得るための道具へと変えてしまうような平和です。

このクリスマスに、キリストの平和が皆様の上に豊かに注がれますようにお祈り申し上げます。

「暗闇の中で輝く光」

先日、町内の子ども会のクリスマス会に参加させて頂く機会が与えられました。プログラムの中で、教会に行って牧師さんのお話を聞くというものがあり、お手伝いをさせて頂きました。

会堂でのお話の後、皆でキャンドルサービスを行いました。牧師ということで、最初のロウソクに火を灯す役割を仰せつかりました。私の持つキャンドルから火を分けて順々に点灯していきました。

全員のロウソクに火を灯した後、子ども会のプレートの上にロウソクを並べていきました。最後に、電気を消して火の輝きをしばし眺めることができました。

暗闇でロウソクを眺めるのは久々のことでしたので、とてもキレイで新鮮な気持ちになりました。

「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。」(聖書 ヨハネによる福音書 1:5 新共同訳)

神様は、その独り子であるイエス様を私たちの生きるこの世界に送ってくださいました。その独り子イエス様は、神の王座を離れ、罪の暗闇に生きる私たちの人生を明るく照らすために、希望の光となるためにこの世に生まれてくださいました。

たとえ暗闇がその光を理解しなかったとしても、その暗闇のために全てをささげてくださいました。それが、クリスマスの出来事でした。

暗闇に輝くキャンドルの光を見た時、そんなイエス様の思いを改めて感じることができました。

「最初の預言」

12月に入り、クリスマスが近づいてまいりました。街中はクリスマスの装飾や音楽で盛り上がってきています。

スーパーの店員さんがサンタ帽をかぶっていたり、お店の音楽がクリスマスソングだったり。また、クリスマスケーキの宣伝も多く見られます。中には、お節の広告も。なんだか気が早いと思ってしまいますが、もうそのような時期なのですね。

クリスマスは、ケーキを食べたり、プレゼントを交換したりと、世の中では毎年色々な行事が行われています。

しかし、本当のクリスマスとは一体なんでしょうか。それは、聖書を開くと見えてきます。

聖書には、神様から「死んでしまうから、決して食べてはいけないよ」と言われた“あの木の実”を食べてしまった人間を何とかして救おうとしておられる神様の計画が書かれています。

クリスマスは、その救いの計画にとってとても大事な出来事でした。今回は、神様が一番初めに言われた救いの計画をご紹介いたします。

「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」(聖書 創世記3:15 新共同訳)

「お前」と「お前の子孫」とは誰のことなのか。「女」と「女の子孫」とは誰のことなのか。また、「頭」と「かかと」が砕かれるとは一体どういうことなのか。そして、これがクリスマスとどのように関係があるのか。

「クリスマスには教会へ」という言葉があるくらい、各地の教会では様々なプログラムが行われています。既に、参加なさるご予定をたてておられる方もおられると思います。是非、今年はそれに加えて聖書を開いて読んでみてはいかがでしょうか。

もちろん、聖書を読むお手伝いを致します。今日の聖句の意味は、是非その時にでも。

クリスマスではなくても、お待ちしています。