ショートメッセージ」カテゴリーアーカイブ

「いつもの道をそれて」

モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。(聖書 出エジプト記 3:1 新共同訳)

家庭を持ち、羊飼の世話をしながら平和な生活を送っていたモーセさんは、いつものように羊の世話をしながら移動していました。しかし、この日はいつもと違うことに気が付きました。

そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。 (聖書 出エジプト記 3:2 新共同訳)

 モーセさんは、茂みに火がついて燃えているのを見つけました。しかし、何故燃えているのかもわからず、何故燃えているのに茂みや木々や枝が燃え尽きないのかもわからないという不思議な光景が広がっていました。

 そんな中、燃えていて危険だから消火するわけでもなく、気味が悪いから逃げるわけでもなく、モーセさんはこんな行動に出ました。

モーセは言った。「道をそれて、この不思議な光景を見届けよう。どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう。」(聖書 出エジプト記 3:3 新共同訳)

 何故こうなっているのかはわからないけれども、道をそれてそこに行って見届けよう。これがモーセさんがとった行動でした。

 何十年もやってきたいつもと変わらない羊の世話をしていたモーセさんに、突然現れた変化でした。

 彼は、いつもと違う変化に対し、いつもの道をそれてその不思議へと向かいました。このようにして、モーセさんは炎の中におられた主の御使いに導かれて神様からの大切な使命を聞くための一歩を踏み出したのでした。

 私たちもいつもと変わらぬ日常を送る中に、神様からのしるしが与えられることがあります。

 モーセさんのように神様の招きに従い、いつもの道をそれてそこに行ってみる時、そこには大切なしるしがあるかもしれません。

「約束は忘れない」

モーセさんは、エジプトの地からイスラエルの人々を救うために神様から選ばれた指導者でした。

 しかし、救出する使命に燃えつつも同胞からの理解を得ることができず、エジプトの地にも居場所がなくなってしまいました。そして、荒れ野で羊飼いとしての平和な生活が始まりました。

この時点では、モーセさんは完全に使命を達成することに失敗したかのように思えます。モーセさん自身もそのことについて日々思いめぐらしていたと思います。

 しかし、今のモーセさんには地位や権力もなく、ただただ年老いていくのみというのが現実でした。

 そして、人間的に考えればこれで終わってしまうのだろうと思えるほどの年月が経ちました。

 そう思える状況の中でも、神様は決して約束を放棄したり忘れたりなさることはなく、しっかりとイスラエルの人々のことを覚えておられました。

それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた。 (聖書 出エジプト記 2:23-25 新共同訳)

 この時、モーセさんが隠居生活を始めてから既に40年の月日が経っていました。モーセさんの年齢は、人間の人生で言えばもうそろそろ終わりが見えてくるような年齢です。地位や権力に加えて、体力までも失ってしまったモーセさんでした。

では、神様はどのようにしてこの救済計画を実行されたのでしょうか。ここから始まる神様の御計画は、またしても人間の理解を遥かに超えるものでした。

「転身」

井戸で羊飼いに追い払われてしまったところをモーセさんによって助けられた娘たちは、祭司である父のもとに行ってこの出来事を話しました。

 エジプト人から助けられたと聞いた父は、それがどのような人物であるかはわからなかったことと思いますが、娘たちに次のように命じました。

父は娘たちに言った。「どこにおられるのだ、その方は。どうして、お前たちはその方をほうっておくのだ。呼びに行って、食事を差し上げなさい。」

(聖書 出エジプト記 2:20 新共同訳)

 何の計画もなく、とにかくエジプトの地から逃げて来たモーセさんでしたが、この招待によって人生の転機がおとずれました。

モーセがこの人のもとにとどまる決意をしたので、彼は自分の娘ツィポラをモーセと結婚させた。彼女は男の子を産み、モーセは彼をゲルショムと名付けた。彼が、「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」と言ったからである。(聖書 出エジプト記 2:2122 新共同訳)

 モーセさんはエジプトでの華やかで地位や権力を持った王宮生活から一転、羊飼いとしての質素な生活が始まりました。

 そんな中でも、モーセさんはそこで結婚をし、子どもを授かりました。

 何よりも、エジプトでの異教の神々にかこまれる生活から、真の神を礼拝する家庭へと身をおくことになったことは、モーセさんにとって大きな益となりました。

 そして、これも神様の御計画でした。

「助けたことが報われる」

ファラオはこの事を聞き、モーセを殺そうと尋ね求めたが、モーセはファラオの手を逃れてミディアン地方にたどりつき、とある井戸の傍らに腰を下ろした。

(聖書 出エジプト記 2:15新共同訳)

同胞からの不信、エジプト人からの不信という居場所を失う状況に際し、モーセさんはとにかく自分の身を守るために逃げ出しました。

 そして、たどり着いたのがミディアンという地でした。その地方には、モーセさんと同じように真の神を礼拝する人たちが住んでいました。

さて、ミディアンの祭司に七人の娘がいた。彼女たちがそこへ来て水をくみ、水ぶねを満たし、父の羊の群れに飲ませようとしたところへ、羊飼いの男たちが来て、娘たちを追い払った。モーセは立ち上がって娘たちを救い、羊の群れに水を飲ませてやった。

(聖書 出エジプト記 2:1617 新共同訳)

 ミディアンの祭司というのは、まさにモーセさんと同じ神様に仕える家族でした。その7人の娘たちは羊飼いとして羊の世話をしていました。

 モーセさんが井戸で休憩していたところ、男性の同業者に追い払われて困っている彼女たちの姿が見えました。

 エジプトの地では、良かれと思って人助けをしたことが全く理解を得られず、そのせいでここに逃げてくることになったという苦い思いがあったことと思います。しかし、モーセさんはこの困っていた祭司の娘たちを助けました。

 無事に羊の群れが水を飲むことができた後、モーセさんに助けられた娘たちは祭司である父にこのように報告しました。

彼女たちは言った。 「一人のエジプト人が羊飼いの男たちからわたしたちを助け出し、わたしたちのために水をくんで、羊に飲ませてくださいました。」

出エジプト記 2:19

 モーセさんはエジプトから着の身着のまま逃げて来たので、エジプト人に見られたわけですが、彼女たちからすると「まさかエジプト人が助けてくれるなんて」という驚きもあったことと思います。

そんな中でも、「この人は私たちを助けてくれた」と、今回はモーセさんの思いがしっかりと理解され、感謝されたのでした。

「居場所を失う」

虐待されている同胞を助けるため、人を殺めてしまったモーセさんでしたが、その出来事を通して自分が解放者であることを知ってもらえたであろうと確信しました。

 しかし、一時の感情的な行為によって、モーセさんの予想に反する同胞からの反応が待ち受けていました。

翌日、また出て行くと、今度はヘブライ人どうしが二人でけんかをしていた。モーセが、「どうして自分の仲間を殴るのか」と悪い方をたしなめると、「誰がお前を我々の監督や裁判官にしたのか。お前はあのエジプト人を殺したように、このわたしを殺すつもりか」と言い返したので、モーセは恐れ、さてはあの事が知れたのかと思った。

(聖書 出エジプト記 2:13-14 新共同訳)

 エジプトのトップが2日も続けて奴隷のもとに訪れること自体が、仲間意識の共有に繋がることでありました。

 しかし、同胞のヘブライ人が示した反応はモーセさんにとってあまりにもショックなものでした。

 解放者として認められなかっただけにとどまらず、命を奪う危険人物として扱われてしまったのでした。

 聖書の別の箇所にも同じ記述があります。

すると、仲間を痛めつけていた男は、モーセを突き飛ばして言いました。『だれが、お前を我々の指導者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、わたしを殺そうととするのか。』(聖書 使徒言行録 7:27-28 新共同訳)

 暴力がもたらした結果はモーセさんにとって大きな痛手でした。何よりも、神様はそのような方法でイスラエルを解放しようとは考えておられませんでした。

 こうして居場所を失ってしまったモーセさんでしたが、神様はこの後モーセさんがエジプトの地からヘブライ人を解放するリーダーとしての働きをなす備えをするために、特別な環境を用意しておられました。