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「恐怖を与えるためではなく」

兄弟たちは、ようやく父ヤコブさんの了解を得て、末の弟ベニヤミンさんを連れて再びエジプトの地へと出発しました。

 持ち物の中には、カナンの地で獲れる蜜やナッツ等の名産品、そして、支払ったはずなのに袋の中に入っていた銀を詰め込み、しっかりと準備を整えました。

 さて、彼らがエジプトに戻って来たのを知ったヨセフさんは、確かに末の弟ベニヤミンさんも一緒であることを確認すると、昼食に招待するようにとの命を出しました。

 そこで、その命を受けた執事さんは、兄弟たちをヨセフさんの屋敷へと案内したのでした。

 ところが、昼食へ招待されているということを理解していなかったのか、兄弟たちはヨセフさんの屋敷へと連れて行かれるこの状況に非常に恐怖を感じたのでした。

 彼らからすると、袋に入っていた銀の件で自分たちは今から捕まえられ、奴隷にされてしまうんだという最悪の事態に思えたのでした。

 そこで、屋敷に入る直前、執事さんに話しかけ、自分たちの袋に入っていた銀の件を正直に打ち明けました。

 そして、何故そんなことが起こったのか自分たちにはさっぱりわからないと必死に身の潔白を訴えました。

 すると、執事さんからこんな言葉が返って来ました。

執事は、「御安心なさい。心配することはありません。きっと、あなたたちの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう。あなたたちの銀は、このわたしが確かに受け取ったのですから」と答え、シメオンを兄弟たちのところへ連れて来た。(聖書 創世記 43:23 新共同訳)

 もしかすると、肩透かしを食らったような気分だったかもしれません。銀が袋に戻されていたにもかかわらず、間違いなく支払い済みであったということが告げられました。そして、その袋に入っていた銀は、神様が入れてくださったものでしょう。そのように告げられました。

 そして、彼らのもとに人質として捕らえられていたシメオンさんが連れて来られました。これを見て、本当に自分たちは捕まえられて奴隷にされるために連れてこられたわけではないんだと安心することができたのではないかと思います。

 私たちが神様に招かれる時、ある人にとっては自分の罪が責め立てられて、救いようもない状態が待っているのではないかと考えてしまうかもしれません。

 しかし、神様が私たちを招いてくださるのは、私たちの罪を責めるためではなく、私たちの罪を赦すためです。

 そして、その赦しは神様から与えられる大きな恵みです。

「責任を負う」

愛する末息子のベニヤミンさんだけは、絶対に手放したくないという父の強い思いのため、兄弟たちはエジプトへ行くことができずに時が経とうとしていました。

 しかし、飢饉は続いています。エジプトから持ち帰った食糧も終わりが見え始めて来ました。

 これを機に、再度エジプトへ食糧を買いに行かざるを得ないという話が持ち上がりました。父ヤコブさんからエジプトへのお遣いの指示を受けた時、兄弟の1人が言いました。

ユダは、父イスラエルに言った。「あの子をぜひわたしと一緒に行かせてください。それなら、すぐにでも行って参ります。そうすれば、我々も、あなたも、子供たちも死なずに生き延びることができます。あの子のことはわたしが保障します。その責任をわたしに負わせてください。もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らず、無事な姿をお目にかけられないようなことにでもなれば、わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます。

(聖書 創世記 43:89 新共同訳)

 長男ルベンさんの息子の命をかけるという説得が拒まれてしまった今、回りまわってユダさんが口を開きました。ユダさんは、弟ベニヤミンの身の保証を約束し、万が一のことがあれば自分が生涯その罪を負い続けるという強い意志を持って父にかけあったのでした。

 そして、ついに父はその説得に応じることとなりました。

では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい。どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」

(聖書 創世記1314 新共同訳)

 ユダさんの言葉は、父ヤコブさんに対してどのように刺さったかはわかりません。もしかすると、息子たちから何を言われても半信半疑でしか受け取ることができなかったかもしれません。しかし、万が一の時には自分がその罪を負い続けるという決心の言葉は、父の心を動かしたのではないかと思います。

 そして、ユダさんの言った「あの子のことはわたしが保証します」という言葉は、神様が私たち1人1人の救いに対して言ってくださっている言葉でもあります。

「あなたのことはわたしが保証します」と言ってくださる神様に信頼する歩みをしていきましょう。

父の嘆き

1人を人質に残して父のもとへと戻って来た兄たちは、勇気を出して事情を説明しました。しかし、父の反応は予想通りのものでした。

 父ヤコブは息子たちに言った。 「お前たちは、わたしから次々と子供を奪ってしまった。ヨセフを失い、シメオンも失った。その上ベニヤミンまでも取り上げるのか。みんなわたしを苦しめることばかりだ。」(創世記 42:36新共同訳)

 ヨセフさんを失った悲しみの大きさに加え、異国の地でシメオンさんまで失い、更には今一番大切にしているヨセフさんの実の弟にあたるベニヤミンさんまでも失う危険性があるという状況には、さすがに良しとすることはできませんでした。

 それでも父を説得するために長男のルベンさんは勝負に出ました。

ルベンは父に言った。 「もしも、お父さんのところにベニヤミンを連れ帰らないようなことがあれば、わたしの二人の息子を殺してもかまいません。どうか、彼をわたしに任せてください。わたしが、必ずお父さんのところに連れ帰りますから。」

(創世記 42:37 新共同訳)

もしも不幸な結果に終わった場合は、自分の2人の息子の命を差し出す。これが自分の2人の息子を失った父ヤコブさんに対して、ルベンさんが持ちかけた条件でした。

しかし、ヤコブは言った。 「いや、この子だけは、お前たちと一緒に行かせるわけにはいかぬ。この子の兄は死んでしまい、残っているのは、この子だけではないか。お前たちの旅の途中で、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちは、この白髪の父を、悲嘆のうちに陰府に下らせることになるのだ。」(創世記 42:38 新共同訳)

 息子を失った辛さを痛いほど知っている父ヤコブさんからすると、ルベンさんの提案した条件はあまりにも軽率に思えたかもしれません。

 そして、この兄弟たちが過去に行ってきた悪行に心を痛めてきたヤコブさんは、自分の大切な末の息子の運命をゆだねることは到底できないと思っていたことと思います。

 何よりも、また息子を失うことだけはしたくない。そのような気持ちでいっぱいいっぱいでした。

 父親が大事な息子を失うということがどれだけ辛いのかが伝わってくる一方で、父なる神様はそのような思いで独り子である御子イエス・キリストを私たちのために地上に送ってくださったのだということに改めて気が付かされます。

 その大事な独り子が痛み苦しみ、そして血を流して命を落とすことによって、私たちを罪から救ってくださいました。

「戻された代金」

何故かエジプトでスパイ容疑をかけられ兄たちは、1人を人質にして一時帰還することとなりました。そこで、兄弟の中でシメオンさんが選ばれエジプトの地に残ることとなりました。

 兄たちが帰路につく準備をしていた時、ヨセフさんは兄たちの荷物に細工をすることにしました。

 ヨセフは人々に命じて、兄たちの袋に穀物を詰め、支払った銀をめいめいの袋に返し、道中の食糧を与えるように指示し、そのとおり実行された。(聖書 創世記 42:25 新共同訳)

そんな細工がされたことなど全く知らない兄たちは帰路につきました。そして、

途中の宿で、一人がろばに餌をやろうとして、自分の袋を開けてみると、袋の口のところに自分の銀があるのを見つけ、 ほかの兄弟たちに言った。 「戻されているぞ、わたしの銀が。ほら、わたしの袋の中に。」 みんなの者は驚き、互いに震えながら言った。 「これは一体、どういうことだ。神が我々になさったことは。」(聖書 創世記2728 新共同訳)

 穀物は正式に代金を支払って購入したので問題ありませんでした。しかし、それを購入する際に支払ったはずの代金がそのまま袋に入れられていたのでした。何故こんなことが起こったのか訳がわからず他の兄弟にそれを知らせました。

 見方によっては、代金を支払ったと見せかけて不正をしたと言われてもおかしくない状況です。スパイ容疑に加えて、窃盗の容疑までかけられてしまう。そんな恐ろしい状況に感じたかもしれません。

 しかし、まだこの時、他の兄弟たちは自分の荷物の中身には気が付いていませんでした。

それから、彼らが袋を開けてみると、めいめいの袋の中にもそれぞれ自分の銀の包みが入っていた。彼らも父も、銀の包みを見て恐ろしくなった。(聖書 創世記35 新共同訳)

帰宅して袋を開けると、全員の袋の中に支払ったはずの代金が入れられていました。

お金が戻って来てラッキーと思うのか、何故こんなことが起こっているのかと自分たちのおかれている状況に真剣に向き合うのか。

 昔の兄たちであれば前者であったかもしれません。しかし、兄たちは、ある意味得したような状況にあっても、「これは一体、どういうことだ。神が我々になさったことは」と言って神様の御心を知ろうとしました。