「日没に始まる」

寒くなったと思ったら、また暑くなる。体には厳しい寒暖の差が続いていますが、段々と日が沈むのが早くなってきた気がします。

日が沈むのが早くなると、なんだか一日が終るのが早くなってしまうように感じます。私たちは、1日に24時間という時間が与えられ、真夜中の0時をもって日付が変わるという時間の流れの中で生活をしています。人によっては、一日が24時間では足りないという方もおられるかもしれません。

神様が始めにこの世界を造られた時も、今私たちが暮らす時間の流れと同じように、1日24時間があり、その区切りの中で世界を造られました。

しかし、今の私たちの時間の流れとは少し異なるところがありました。それは、1日の始まりの時間です。

聖書には、神様が日毎に様々なものを造られたことを記録すると共に、それが何日目の出来事であったかも記録しています。そして、もうひとつ記されている言葉ありました。

「夕べがあり、朝があった」(聖書 創世記1章5、8、13、19、23、31節 新共同訳)

これは、聖書で1日を表現する言葉です。そして、この言葉が示す1日の始まりは、「夕べ」、つまり日没であることがわかります。

私たちは日没になると1日が終ってしまうという思いになりますが、聖書は、日没は1日の始まりだと言っています。

いつかの大晦日の夕方、きっと元旦の朝は起きられずに初日の出を見られないだろうと諦めていた心に、「夕べがあり、朝があった」という言葉が響き渡りました。

大晦日の日没、綺麗な夕日を眺めながら、1人で6時間以上早い新年を迎えたハッピーニューイヤーでした。