「アブラハムの信仰」

聖書には、信仰とはどのようなものかが記されています。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(聖書 ヘブライ人への手紙11:1 新共同訳)

私たちの目に見える、想像することができる範囲のことではなく、私たちの目には見えないこと。つまり、神様の「約束」を信じて歩むことだと書かれています。

そのような歩みをした人物として、新約聖書ではアブラハムさんの名前が挙げられています。

「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです。信仰によって、アブラハムは他国に宿るようにして約束の地に住み、同じ約束されたものを共に受け継ぐ者であるイサク、ヤコブと一緒に幕屋に住みました。アブラハムは、神が設計者であり建設者である堅固な土台を持つ都を待望していたからです。信仰によって、不妊の女サラ自身も、年齢が盛りを過ぎていたのに子をもうける力を得ました。約束なさった方は真実な方であると、信じていたからです。それで、死んだも同様の一人の人から空の星のように、また海辺の数えきれない砂のように、多くの子孫が生まれたのです。」(聖書 ヘブライ人への手紙11:8∼12 新共同訳)

アブラハムさんが、長らく住んだ土地を後にして、旅を始めるようにと言われた出来事から始まり、子どもを授かることを諦める年齢に達していたにも関わらず、イサクという息子が与えられるという出来事。

このような、先が見えない中で「約束」を信じることによって、アブラハ

ムさんは信仰を持って歩んで行きました。

その先に待っているのは、神様の約束に与ることができるという大きな祝福

です。