「欺いて気づく」

兄エサウが狩りに出ている間に、母リベカの作戦は決行されました。兄の毛深さを装おうため、子山羊の毛皮を身に着けたヤコブさんは、父のもとへ向かいました。

ヤコブさんは、自分をエサウと偽り、料理を持って祝福をねだりました。どんなに目が見えなくなっていたとしても、息子の声はわかります。イサクさんは、えらく早く狩りから戻って来たあげく、ヤコブの声でエサウと名乗っている目の前の人物に疑問を感じます。

しかし、腕を触るとその毛深さは確かにエサウのものでした。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」(創世記27:22)そう言って、声ではなく毛深さからエサウであると確信したのでした。

ヤコブさんにとっては緊張の瞬間であったことと思いますが、母リベカの作戦により見事にこのピンチを切り抜け、父をだまして祝福を受け取ったのでした。

「ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。『ああ、わたしの子の香りは 主が祝福された野の香りのようだ。どうか、神が 天の露と地の産み出す豊かなもの 穀物とぶどう酒を お前に与えてくださるように。多くの民がお前に仕え 多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり 母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ お前を祝福する者は 祝福されるように。』」(聖書 創世記27:27∼29 新共同訳)

本来、この祝福の言葉は、神様がヤコブさんに与えると約束されたものでした。母リベカさんは、彼らが生まれる前にそれを告げられていました。

父をだまして祝福を得るような行動に出ずとも、神様の約束は必ず成されると信じて待つこともできました。

しかし、この母子はそれをすることができませんでした。きっと、ヤコブさんは作戦の成功の安堵と共に、後ろめたい気持ちが押し寄せて来たことと思います。これが、この後ヤコブさんを大いに悩ませていくことになります。しかし、神様は決してヤコブさんを見捨てませんでした。