「再び着物を脱ぐ」

毎日誘惑の声をかけ続けてくるポティファルの妻に対して、断固として断り続けたヨセフさんでしたが、掴まれた着物をその手に残して逃げたことにより、窮地に追い込まれてしまいました。

「彼女は、主人が家に帰って来るまで、その着物を傍らに置いていた。そして、主人に同じことを語った。「あなたがわたしたちの所に連れて来た、あのヘブライ人の奴隷はわたしの所に来て、いたずらをしようとしたのです。わたしが大声をあげて叫んだものですから、着物をわたしの傍らに残したまま、外へ逃げて行きました。」」(聖書 創世記39:16∼18 新共同訳)

ヨセフさんが証拠の品を残して逃げだしたということを逆手に取って、全く自分の誘いに応じようとしないヨセフさんを陥れることによって恨みを晴らそうとしたのでした。

「あのヘブライ人奴隷が・・・」というこの主張は家中に響き渡ったことと思います。もしかすると誰もが「そんなはずはない」と思ったかもしれません。何故なら、ヨセフさんの日々の生き方を見ればそれは歴然だったからです。

そして、この主張はヨセフさんの主人であるポティファルさんに対して向けられました。これを聞いたポティファルさんは、ヨセフさんを捕らえて監獄へと送りました。

しかし、ポティファルさんもこう思ったことと思います。「そんなことをするはずがない。」

もし、本当にこの主張を信じていたとしたら、監獄に入れるだけで済むはずがありませんでした。しかし、自分の家の名誉を守るためには、このようにするしかありませんでした。

こうして、ヨセフさんは、今まで積み上げてきたもの、任されたもの、全てを失ってしまったのでした。

しかし、神様は忠実な僕であるヨセフさんを見捨てることはありませんでした。

「しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、看守長の目にかなうように導かれたので、看守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。」(聖書 創世記39:21∼22 新共同訳)

またしても着物を取られ、同時に全てのものを失ったかと思われたヨセフさんでしたが、今度は監獄という場所において全てを任されるまでに信頼を得ることとなりました。

父のもとにいた時から比べると、2段階でどん底に突き落とされたような状況にありましたが、決して腐ることなく、着物を脱ぐたびにヨセフさんは更に神様によって磨かれていくこととなりました。