「わたしが共にいる。決して見捨てない」

兄の怒りを買い、命を狙われるほどの状況になってしまったヤコブさんは、母の助言のもと独り生まれ育った家族のもとを離れて逃亡の旅が始まりました。

長子の特権を強く望んでいたこと、また、それを得るために自分がやってしまったこと。また、自分のしてしまった失敗に対する深い反省の時であったかもしれません。様々なことを思いながらの孤独な旅だったと思います。

日も暮れて来たので、一夜を過ごすための場所を探しました。そして、寝る場所を見つけたヤコブさんは、石を一つ取りそれを枕にして寝始めました。すると、ヤコブさんは夢の中で神様からこのように告げられました。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れて帰る。わたしは、あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」(聖書 創世記28:15 新共同訳)

ヤコブさんの旅は、家族から離れ、兄から身を隠し、更には、自分の罪に苦しみながらの孤独な旅でした。

そんな中でも、神様はヤコブさんのその苦しみや寂しさをよく知っておられ、「わたしが共にいる」、「決して見捨てない」という強い約束の言葉をかけられたのでした。

神様は、私たちが人生の中でどんな孤独な旅をしている時でも、それをよく知っていてくださいます。そして、神様を求める私たちに、「わたしが共にいる」、「決して見捨てない」と今日も力強く約束の言葉をかけてくださっています。

 

「逃げる」

弟に長子の特権を奪われた兄の悲しみは怒りへと変わり、その怒りは大きく膨れ上がり、そしてその怒りは殺意へと変わっていきました。

血のつながった兄弟であり、更には長らく待ちわびてやっと与えられた大切な2人の息子たちが命を狙い狙われるような関係になってしまったことに両親も心をいためたことと思います。

兄エサウさんの計画を知った母は、長子の特権を奪うために結託していた弟ヤコブさんに対し、逃げるようにと促しました。

そして、父は今から一人寂しい逃亡の旅へと出発する弟ヤコブさんに対して一つの命令を出しました。

その内容は、ヤコブさんがこれから結婚する相手を探すにあたってどのようにするべきであるかということでした。

兄のエサウさんは、避けるべき人たちとの結婚によって両親を悩ませていました。そのため、両親は、長子の特権を受け自分たちの家系を継いでいくことになる弟ヤコブさんには神様の御心にかなった結婚をしてほしいと願ったのでした。

そして、その命令とともに、今度は欺かれてではなく、弟ヤコブを改めて祝福しました。

「どうか、全能の神がお前を祝福して繫栄させ、お前を増やして多くの民の群れとしてくださるように。どうか、アブラハムの祝福がお前とその子孫に及び、神がアブラハムに与えられた土地、お前が寄留しているこの土地を受け継ぐことができるように。」(聖書 創世記28:3∼4 新共同訳)

命を狙われ、逃亡する直前になり、他人のふりをしてではなく、今度こそ正真正銘ヤコブという人として祝福を受けることができたのでした。

そして、ヤコブさんは逃げつつも父の命令に従い結婚相手を見つけるために伯父の所へ向かって行ったのでした。

「一杯の食のために」

兄が受け継ぐことになっていた長子の特権を弟がだまし取ったという出来事。一番怒り狂ったのは、兄のエサウさんでした。

エサウさんは、空腹を満たすため弟に長子の特権を譲ると約束をした過去がありましたが、それが本当に弟の手に渡ったと知った時に事の重大さを思い知ることとなったので

した。

エサウさんは一時の空腹を満たしたいという欲求から、将来の大きな祝福を投げ捨てて、目の前にある一杯の食事を選びました。

彼は、そこで一杯の食事を選んだとしても、自分は長男として当然その特権をもら

えるものだと思っていました。

しかし、思いもしない出来事が起こり、本当に自分のもとからその特権が

取り去られることになってしまったのでした。

私たちが神様から与えられている約束。それは、将来に関するものです。神様はそれを信じて、その希望を大切にして歩んでほしいと願っておられます。

しかし、私たちは弱さゆえに、将来の希望を与えられているにも関わらず、一時の欲求から、大きな祝福を投げ捨てて、目の前にある一杯の食事を選んでしまうことがあります。

しかし、聖書はこのように言います。

「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(聖書 ローマの信徒への手紙8:24∼25 新共同訳)

イエス様が来られる時、私たちは忍耐して待ち望んだことによって喜びがあふれることでしょう。

「欺かれて気づく」

妻と息子の策略により、長男を祝福したつもりが次男にその祝福を与えてしまったことにより、世界で最初のオレオレ詐欺にかかってしまった父イサクさんでした。

声の違いに違和感を覚えつつも、自分の望み通りに長男のエサウさんに長子の特権を与えることができて一安心したイサクさんのもとに、狩りに出ていた本物のエサウさんが現れました。

「父イサクが、『お前は誰なのか』と聞くと、『わたしです。あなたの息子、長男のエサウです』と答えが返ってきた。イサクは激しく体を震わせて言った。『では、あれは一体誰だったのだ。さっき獲物を取ってわたしのところに持って来たのは。実は、お前が来る前にわたしはみんな食べて、彼を祝福してしまった。だから、彼が祝福されたものになっている。』」(聖書 創世記27:32∼33 新共同訳)

イサクさんは、自分が何とかして達成しようとしていた望みであった長男のエサウさんに長子の特権を与えるという計画が全て崩れ去ったことを知りました。

この祝福は、「間違えたからやっぱり取り消し」ということができるようなものではありませんでした。

欺かれたとしても、それを与えてしまったことを変更することはできません。この出来事を目の当たりにし、絶望に浸る父と子でした。

しかし、それと同時に父の心に神様の約束が思い出されました。それは、祝福を受けるのは長男ではなく次男のヤコブであるというものでした。

何とかして長男にそれを与えたいという自分の願いを突き通そうとしてきましたが、この絶望に思える出来事を通して、神様の約束は確かに成し遂げられるということを改めて知ることになったのでした。

 

「欺いて気づく」

兄エサウが狩りに出ている間に、母リベカの作戦は決行されました。兄の毛深さを装おうため、子山羊の毛皮を身に着けたヤコブさんは、父のもとへ向かいました。

ヤコブさんは、自分をエサウと偽り、料理を持って祝福をねだりました。どんなに目が見えなくなっていたとしても、息子の声はわかります。イサクさんは、えらく早く狩りから戻って来たあげく、ヤコブの声でエサウと名乗っている目の前の人物に疑問を感じます。

しかし、腕を触るとその毛深さは確かにエサウのものでした。「声はヤコブの声だが、腕はエサウの腕だ。」(創世記27:22)そう言って、声ではなく毛深さからエサウであると確信したのでした。

ヤコブさんにとっては緊張の瞬間であったことと思いますが、母リベカの作戦により見事にこのピンチを切り抜け、父をだまして祝福を受け取ったのでした。

「ヤコブが近寄って口づけをすると、イサクは、ヤコブの着物の匂いをかいで、祝福して言った。『ああ、わたしの子の香りは 主が祝福された野の香りのようだ。どうか、神が 天の露と地の産み出す豊かなもの 穀物とぶどう酒を お前に与えてくださるように。多くの民がお前に仕え 多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり 母の子らもお前にひれ伏す。お前を呪う者は呪われ お前を祝福する者は 祝福されるように。』」(聖書 創世記27:27∼29 新共同訳)

本来、この祝福の言葉は、神様がヤコブさんに与えると約束されたものでした。母リベカさんは、彼らが生まれる前にそれを告げられていました。

父をだまして祝福を得るような行動に出ずとも、神様の約束は必ず成されると信じて待つこともできました。

しかし、この母子はそれをすることができませんでした。きっと、ヤコブさんは作戦の成功の安堵と共に、後ろめたい気持ちが押し寄せて来たことと思います。これが、この後ヤコブさんを大いに悩ませていくことになります。しかし、神様は決してヤコブさんを見捨てませんでした。