照りつける太陽、蝉の鳴き声、蚊取り線香のにおい…今年も夏がやってきました。
暑い夏には汗をかくものですが、最近「汗」が悪者になっているように感じられるのは私だけでしょうか?
コンビニエンスストアに行くと、汗ふきシートやスプレーなどの制汗グッズがたくさん売られています。中には毛穴にふたをして、汗が出るのを抑えるようなものもあります。
人間の皮膚には、身体の中に溜まった老廃物や毒素を体外に排出する、とても大切な役割があります。私たちの身体は汗をかくように造られています。暑い日に汗をかくということは健康のために必要なことなのです。
暑い日に身体を動かして、全身から汗を流すと心身ともにスッキリします。その後シャワーを浴びると生き返った気持ちになります。
聖書の中にこんな言葉があります。
「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、/あなたは土から取られたのだから」(旧約聖書 創世記 3:19 口語訳)
土から造られ土に帰る者として、汗を流す者として私たちは造られました。
「汗を流す」という言葉には、「苦労をする」というニュアンスもあります。
私たちが心や身体から汗を流すとき、その一滴一滴は決して無駄にはなりません。誰かを幸せにし、自分自身を健康にしてくれます。
「イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。」(新約聖書 ルカによる福音書22:44 口語訳)
イエス様は私たちのために苦しみ、汗を流して下さいました。一年で一番暑い季節に、「汗を流す」ことの意義をもう一度見直してみませんか?
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

ん、いとこたちとその家族(初めて会った小さな子どもたち)と一緒に過ごしていると、時計の針が子どもの頃に戻ったような(そこから急に進んだような)不思議な感覚になりました。総勢34人が集まりました。
イエス様のところに子どもたちを連れてこようとしていた人たちを弟子たちが叱った、と書かれています。もしかしたら、イエス様の弟子であるはずの教会や牧師が、イエス様のもとに来ようとしている子どもたちの妨げになってはいないだろうか?と自問させられます。
ていましたが、川から少し離れた場所の紫陽花は、しおれかけていました。
私たちは慌ただしく過ぎる日常の中で、自分の心のタンクがいつの間にか目減りして、カラカラになっていることに気づかずに過ごしてしまうことがないでしょうか。それでも無理して走り続けるといつか燃え尽きてしまいます。著者はそのような状態を「オイル交換をせずに車を何年も乗り続けるようなもの」(前掲書112ページ)と言っています。