ショートメッセージ」カテゴリーアーカイブ

一人では勝てない “I can not win alone.”

7月は、自転車好きにはたまらない季節です。世界最大の自転車レース、ツール・ド・フランスが開催されているからです。

自転車レースでは、チームのエースを勝たせるために一緒に走るメンバーは自分を犠牲にしてエースを支えます。エースの前を走って風よけになったり、チームカーから水や補給食を運んだりします。誰かの後ろについて走ることで、空気抵抗を約25%減らすことが出来ると言われています。

レースで優勝した選手たちは口を揃えて言います。「自分一人では勝てない。この勝利はチームみんなのものだ。」

「一人では勝てない」「誰かのサポートがあってこそ、ゴールにたどり着ける」―――これは自転車レースだけに限らない人生の真実です。私はかつて、心が挫け、自分でも自分自身のことをほとんど諦めかけていたときに、温かく励まし支えてくれた人たちがいたことで再び立ち上がることが出来ました。

この度参加した英語の研修でも、祈り合い、励まし合うことが出来る仲間がいたことで、最後まで自分のベストを尽くすことが出来ました。神様は「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」(創世記2:18)と言ってアダムにエバをお与えになりました。どのような厳しい状況に置かれたとしても「一人ではない」ということは私たちにとって大きな支えです。

イエス様は弟子たちに約束して言われました。

「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

(新約聖書 マタイによる福音書28:20 口語訳)

私たちに必要な仲間を与えるだけでなく、自ら共にいてくださる神様を心から讃美します。

※写真上は、タイの町で出会ったサイクリストたち。下は今回の研修に参加した仲間たちです。

 

“I can not win alone.”

I like bicycles. I like not only riding a bicycle, but also watching bicycle races. “Tour de France” which is the world’s largest bicycle race is being held right now.

In the race, the members work with the spirit of self-sacrifice to win the ace rider. They ride in front of the ace rider to against the wind. They carry water and food for the ace rider. Ace rider can reduce air resistance by 25% because of his teammate riding in front of him.

The rider who won the race says, “I can not win alone” “This victory is thanks to my teammate.”

“I can not win alone” “I can reach the goal thanks to my colleague’s support”—-This is the truth that applies not only to bicycle races but also to our life.

When I was frustrated and I almost gave up on myself, I was able to stand up with encouragement from my colleagues.

In the CLAP program, I had some friends to support me, so I was able to do my best.

God told Adam. And God gave him Eve.

The Lord God said, “It is not good for the man to be alone. I will make a helper suitable for him.”(Genesis2:18 NIV)

We are “not alone” That’s great news.

This is Jesus’ promise to us.

“And surely I am with you always, to the very end of the age.”(Matthew28:20 NIV)

God gives us friends. And God himself be with us. Praise the Lord!

 

  • Picture: The cyclists who met in Thailand. Colleagues who studied together.

 

聞くのに早く

タイでの研修を終え、無事に帰宅することが出来ました。長いようであっという間の17日間でした。今回の研修では、毎日1時間「Tutor Time」という時間がありました。これは一対一で、英語の先生や英語が上手な現地の学生と英会話をする時間です。初めは緊張しましたが、やがて慣れてくると毎日この時間が楽しみになっていきました。

2週目のこの時間に、イギリス人の先生と会話をしました。色々なことが話題になりましたが、二日目のこの時間、私は自分が心の中に抱えていた苦しみについて話をしました。先生は私のその話にじっと耳を傾けて聞いてくださいました。その会話の途中から、私は話を続けることが出来なくなってしまいました。自分でも驚くほど涙がこみ上げてきたのです。「自分の話に深く共感しながら誠実に耳を傾けてくれる人がいる」という事実に、私は深く心を揺さぶられました。

このとき私の心に思い出された聖書の言葉です。


わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。

(新約聖書 ヤコブの手紙1:19 新共同訳)


神様は私たち人間を、一つの口と二つの耳を持つ存在として作られました。それは、「何か語ることも大切だが、人の話を心を込めて聞くことを大切にしなさい」という神様からのメッセージなのかもしれません。この日私は、自分も誰かの話に心から耳を傾けられる人になりたいと強く思いました。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※Hole先生ご夫妻との記念写真です(奥様から英語の授業を受け、ご主人様に英会話の時間をとって頂きました)。

 

“Should be quick to listen”

I participated the program CLAP that is for Pastors and Church Leaders. This is a program to improve participant’s English and leadership. This session took place at the APIU in Thailand from June 25 to July 13.

“Tutor time” was set every day for participants. It was very helpful time for us. We enjoyed the conversation and received many benefits.

My tutor at one day was a British teacher. Beginning, we enjoyed daily conversation. After a while, I opened my heart to him and talked about the suffering that I had. He listened to my talk sincerely. He listened to my story with deep empathy. I suddenly could not keep on talking. I could not suppress my tears. I was greatly moved by his sincerity. I was taught him the importance of “listening to people’s story” that day.

I remembered the Scripture.


My dear brothers and sisters, take note of this: Everyone should be quick to listen, slow to speak and slow to become angry,

James 1:19 NIV


God gave us two ears and a mouth. It may be a message from God that “please listen more than speak”.

I want to become a person who listens to someone in good faith. That day, as he did to me.

 

  • It is Mr. & Mrs. Hole. Mrs. Hole is our English teacher. Mr. Hole is our Tutor.

決められた道を走りとおし

私の休日の楽しみは、走ることです。以前は自転車で走っていましたが、最近はジョギングをしています。長い距離を走るとき、いつ頃からか自分に言い聞かせるようになったことがあります。それは、「目的地を目指す。しかし、先を見過ぎない。ときには後ろを振り返る」ということです。

長くきつい登り坂を走っているときに、坂の上の方を見ていると「まだこんなに登りが続くの?!」と絶望的な気持ちになってしまうことがあります。あまり先を見過ぎず、足元を見ながら一歩一歩進んで行くと、いつの間にかきつい坂が終わっています。ときには後ろを振り返ることで元気が湧いてくることもあります。「先は長いな…。」と思うとき、自分がこれまで走ってきた道のりを振り返ると「こんなに頑張って来たんだからゴールまで行ける!」と、前向きな気持ちにさせられます。

信仰生活や、人生のゴール・目的地を覚えるのは大切なことです。しかし、自分の足元をしっかり見据えて一歩一歩進むことも同じように大切です。自分が歩いてきた道を振り返るとき、達成感を覚え、そこに備えられていた神様の恵みを思い返して感謝の念が湧いてくることもあるでしょう。それらはいずれも目的地を目指す私たちを励ましてくれます。

 

私は使徒パウロが手紙の中で繰り返し使っている「走る」という言葉が好きです。私たちが自分の人生を終えようとするときに、パウロと共に胸を張ってこのように言いたいものです。


世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。

(新約聖書 Ⅱテモテへの手紙4:6,7 新共同訳)


セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は、ある休日ジョギングの目的地、高尾山です。

流れのほとりに植えられた木

梅雨の季節になりましたが、この季節にも楽しみはあります。私は自宅近くの公園に咲く菖蒲の花を毎年楽しみにしています。今年も見事な花が咲きました。山から湧き出た水が水車を動かし、その水が菖蒲田を潤しています。詩篇の言葉が思い出されます。


悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、

あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。

このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。

このような人は流れのほとりに植えられた木の

時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。

(旧約聖書 詩編1:1~3 口語訳)


この聖句は私たちにいくつかの大切なことを教えています。

  • 「流れのほとりに植えられた木」…わたしはどこに根を下ろしているか?

私たちは色々なものを頼りにして生きています。聖書は私たちに命の水の源である、神に根を下ろして生きよと勧めています。一時的なもの、本当の命をもたらさないものに頼り、根を下ろしてはいないでしょうか。

  • 「時が来ると」…私は神様の「時」を待っているか?

もしも私たちが神様に根を下ろしているならば、「時が来ると」必ず実を結ぶ、と聖書は約束しています。私たちは自分が願ったときと方法で実がみのる(結果が出る)ことを願います。しかし、神様は「時」(計画)を持っておられます。

私たちの人生には、真冬の凍えるような寒さの日や、照りつける太陽に苦しめられる日があります。しかし、もしも私が正しい場所に根を下ろしているならば、目の前の出来事に一喜一憂する必要はないのかもしれません。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は片倉城址公園の菖蒲です。

勝てないものを相手に生きる

ある本に次のように書かれていました。

「長い間人の死を看取っている方から『農業とか自然を相手にしてきた人の最期は、とても穏やかなお顔をしておられる』と言われたのを聞いて、なるほどと思った…。こうした人々は、自然といういつも自分の力を超えた大きな力、すなわち勝てないものを相手に生きてきたゆえに、一つの品性がその身に宿るのであろう。…私たちは“勝ってはならない”相手に勝ってしまっているのではないかと反省してみる必要がある。」

(藤木正三・工藤信夫『福音はとどいていますか』218ページ)

実に考えさせられる言葉でした。

私たちは弱さよりも強さを、支配されることよりは支配することを、そして負けるよりは勝つことを好みます。しかし、「勝てないものを相手にする」とき、私たちは己の限界を知り、そのことのゆえに謙虚さを学ぶことができるのかもしれません。

 


神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。

(旧約聖書 伝道の書3:11 口語訳)


先日、教会の前を通りかかった方からこんな言葉をいただきました。「私はクリスチャンではありませんが、夜、教会の前を通ると輝いている十字架に心が和ませられることがあります。」その言葉を聞いて私は嬉しい気持ちになりました。そして、十字架は私たち人間に、人間を超えた存在があることを指し示す力があるのだということを改めて教えられました。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋