ショートメッセージ」カテゴリーアーカイブ

キリストの香り

ある教会員の方のお見舞いに病院を訪問したときのことです。いつものように病室に入ろうとすると、ベッドのほうから讃美歌の声が聞こえました。少し不思議に思いながら枕元を見ると、一人の看護師さんが、入院中のその方のために讃美歌を歌ってくださっているところでした。

「○○さんの教会の牧師の伊藤です」と挨拶をしますと、その看護師さんは少し照れくさそうに笑いながら「わたしの讃美歌、聞こえちゃいましたか?わたしもクリスチャンなんです。宗派は違うかもしれないけど、○○さんも知っている讃美歌があればいいな、と思って。」と話してくださいました。枕元を見ると、見やすいように拡大コピーされた讃美歌の楽譜や、主の祈りの言葉などがあり、この看護師さんが病床で過ごしているこの方のためにクリスチャンとして出来る限りのことをしようとしてくださっている、その思いが伝わってきました。

使徒パウロはこのような言葉を残しています。


神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。

(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 2:14,15 新共同訳)


 

20150509キリストの香り

その日、病室で「キリストの香り」に触れることが出来ました。

「香り」は本人が自覚していても、あるいは自覚していなくても周囲に伝わっていきます。

私たちも「キリストの香り」を放つ者とさせていただきたいものですね。

 

 

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

 

悩みの日にわたしを呼べ

広島三育学院高校の祈祷週にお招きいただき、懐かしいキャンパスで1週間過ごさせていただきました。朝夕、高校生の皆さんと礼拝をし、その他の時間は希望する生徒と面接をしたり、授業をしたり、嬉しい出会いがいっぱい詰まった1週間でした。

1週間、朝夕の礼拝で「悩みの日にわたしを呼べ」というテーマで、私たちが生きている中で抱える様々な悩みについて聖書の言葉から考えました。その中で、生徒たちが悩みを抱えながらも、それぞれの悩みに真摯に向き合い、答えを探している姿を何度も見せられました。

悩みのトンネルの中で、手探りで出口を探すのは簡単なことではありません。一生懸命に探そうとすればするほど、真摯に向き合おうとするほど、悩みが深まってしまうことさえあります。でも、そんなときでもごまかさずに誠実に自分自身の人生を一歩一歩進んで行こうとしている姿を見ていて深い感動を覚えました。

20150502悩みの日にわたしを呼べ

 


 

悩みの日にわたしを呼べ、

わたしはあなたを助け、

あなたはわたしをあがめるであろう。

(旧約聖書 詩篇50:15 口語訳)


 

悩みを抱えている人が、その悩みの中から神様に呼ばわり、その悩みの中で神様と出会う体験へと導かれますように心から願っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

怠け者よ、蟻のところに行って見よ

聖書には私たちの心を慰める言葉がたくさん書かれている一方で、読む者の心に鋭く迫る警告の言葉も数多く書かれています。そのどちらもが、神様から私たちへの愛のメッセージです。


 

怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ。

蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが

夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。

(旧約聖書・箴言6:6~8 新共同訳)


「蟻を見習って備えをしなさい」との警告です。春になり、日差しの暖かい日には冬の間はほとんどその姿を見せることのなかった蟻たちが活発に活動しています。

私たち人間は自らを「万物の霊長」などと呼びますが、動物や昆虫から大切なことを教えられることも多いのです。

蟻は限られた時間の中で勤勉に働き、将来への備えをします。私たちはどうでしょうか?

4月25日、姉妹教会の八王子教会では「東日本大震災の教訓から首都直下大地震に備える」と題して防災講演会がもたれます。東日本大震災のとき、私たちはいざというときのための備えをすることの大切さを学びました。しかし、いま私たちは「備え」をしているでしょうか。様々な「備え」があります。災害への備え、将来への備え、イエス様を迎えるための備え…など。

「だから、あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである」

(新約聖書・マタイによる福音書24:44 新共同訳)

とのイエス様の言葉をもう一度心に留めたいと思います。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋20150425怠け者よ

※写真は、自宅前のプランターです。春になり、チューリップの花が咲きました。

ここで何をしているのか

 

…火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」

(旧約聖書 列王記上19:12,13 新共同訳)


 

IMG_20150417_104457「デボーション体験集会」に参加してきました。

与えられた聖書の箇所をそれぞれがたっぷり時間をかけて読み、瞑想し、そこで気づいたことや受けた恵みをグループの人たちと分かち合います。

慌ただしい生活の場所から離れて、一人静かに神様と交わり、信仰の仲間と祈り合う、とても祝福された時間を過ごすことができました。

集会の中で、預言者エリヤについての聖書箇所を読みました。エリヤは旧約聖書を代表する偉大な預言者です。エリヤは神様に背いたアハブ王に対しても恐れることなく神様からのメッセージを伝えました。エリヤは国中が偶像礼拝に染まっている中、たった一人で850人の偶像礼拝の預言者と対決し勝利しました。

そんな信仰の勇者エリヤでしたが、王妃イゼベルに命を狙われた時、恐れに取りつかれて逃げ出してしまいました。彼は身も心も疲れ果て、ついには「わたしの命を取ってください」と、神様に叫びました。神様はそんなエリヤに、静かにささやく声で「エリヤよ、ここで何をしているのか」と呼びかけられました。

私たちの人生にも、頑張って頑張ってようやく何かを成し遂げた、その直後にガクッと燃え尽きてしまうようなことがあります。神様は「静かにささやく声」で私たちに呼びかけられます。「あなたはここで何をしているのか。」と。静かに呼びかける神様の言葉にこそ、私たちを生かす力があることを覚えたいと思います。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

  • 写真は、会場の「国立女性教育会館」敷地内の散歩道です。

涙と共に種を蒔く人は

今から32年前の4月、こぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら、両親が住む家を出て、全寮制の北浦三育中学校に入学して寮生活を始めました。両親が北浦三育中学校男子寮で働いていましたので、同じ建物の「舎監室」から「寮内」に移動しただけでしたが、新しい世界に出て行くのが不安でたまらなかったのを今でもはっきりと覚えています。


 

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涙と共に種を蒔く人は

喜びの歌と共に刈り入れる。

種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は

束ねた穂を背負い

喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

(詩編126:5,6 新共同訳)


当時中学生だった私はこの聖書の言葉をまだ知りませんでしたが、あとから振り返ってみてもこの聖書の言葉は本当だ!と心から思える、充実した中学校生活を送ることが出来ました。そして中学校時代だけでなく、自分の人生の様々な場面を振り返るとき、やはりこの聖書の言葉は真実であると、今も信じています。

32年が過ぎて、長男・次男に続いて今週、三男を同じ北浦三育中学校に送り出しました。自分が中学1年生20150411涙と共に種を蒔く人はで入寮するときにこらえた涙とは、また違う涙を必死にこらえながら息子を見送りました。

神様の言葉は今も真実で、出て行く者・送り出す者も共に成長して、喜びあう日を必ず迎えさせてくださると信じます。

そして今、様々な理由で必死に涙をこらえつつ、日々の歩みに出て行こうとしている方々の涙を、神様ご自身が「ことごとくぬぐい取ってくださる」(ヨハネの黙示録21:4 新共同訳)日が、一日も早く来ることを心から祈っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋