知る喜び

韓国での研修の最初の朝、不安でたまらない気持ちで聖書を開くと、次の言葉が目に留まりました。


わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。

(新約聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 13:12 新共同訳)


私たちは自分の人生に起きる様々な出来事の意味も、そして信じている神様のことも、100%完全に理解することは出来ません。しかし、いまははっきり見えなくても、それをはっきり理解する時が必ず来るのだと、神様は約束してくださいました。

その朝、私はこの聖句に勇気づけられました。自分の英語力は「おぼろげに映ったものを見る」ような頼りないものだけど、やがて「はっきり知ることができるようになる」と、神様から励まされたように感じたからです。

この日以来、この聖句を小さな紙に書き写し、手帳にはさんで持ち歩くようになりました。そして、自分の力の限界を感じるときには、この聖句を読んで、気持ちを奮い立たせています。20161224%e7%9f%a5%e3%82%8b%e5%96%9c%e3%81%b3

今回の研修は終わりましたが、次回の研修までたくさんの宿題が出されています。毎日時間を見つけてその宿題に取り組んでいます。今のところ、私の英語力に大きな変化はありませんが、今まで分からなかったことを少しずつ理解する喜び、「知る喜び」を味わい始められたのは感謝です。

神様が私たちの目を開いてくださって、一部しか見えなかったものをはっきりと見ることができるようにしてくださいますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※韓国・チェジュ島近くのウド島で(11月29日撮影)。