12月24日のプログラム
12月24日の安息日プログラムは下記のようになります。
■安息日学校(讃美と聖書の学びのひととき)
午前9:30~10:45
持ち物:聖書、讃美歌(歌集)、聖書研究ガイド(テキスト)
■安息日礼拝
午前11:00~12:00
説教者:Arup Pandey(甲府教会員) ※通訳つきです。
持ち物:聖書、讃美歌(歌集)
- 聖書研究ガイドなどは貸出用を用意しております。
- 昼食を用意しております。
- 皆様のお越しを心よりお待ちしております。
12月24日の安息日プログラムは下記のようになります。
■安息日学校(讃美と聖書の学びのひととき)
午前9:30~10:45
持ち物:聖書、讃美歌(歌集)、聖書研究ガイド(テキスト)
午前11:00~12:00
説教者:Arup Pandey(甲府教会員) ※通訳つきです。
持ち物:聖書、讃美歌(歌集)
学生時代、「どうせ将来英語の教師になるわけじゃないんだから」と、まともに英語の勉強をしませんでした。その結果、学生時代を通じて英語は苦手科目でした。
神学生のころ、「神学書講読」(英文の神学書を読む)というクラスがありました。単位を取るために必死で勉強しましたが、結果は保留でした。担当の先生のところに相談に行くと、「君が単位を取るためには、同じ神学科で学んでいる英語が得意な○○さんに毎月月謝を払って英語のレッスンを受けなさい」と言われました。それ以外に方法はない!と言うのです。正直に言いますと、そのときは屈辱的な気分だったのですが、卒業するためにはそんなことは言っていられません。何人かのクラスメートと共に、特別レッスンを受けることになりました。
ある日、その英語の先生から言われました。
「君は、やればできるよ!英語の才能があると思う。やらなかったらもったいないよ!」
彼が本気でそう思っていたのか、あるいは私を励ますためにそう言ったのかは分かりません。しかし、私にとってこの言葉は衝撃的な言葉でした。あの言葉が私の心の隅に残り続け、今回「この英語の研修に参加してみたい!」という気持ちになれたのだと思っています。言葉には力があります。人を励まし、後押しする力です。
だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。進んで行う気持があれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。
(新約聖書 Ⅱコリント8:11,12 新共同訳)
これは私が大好きな聖書の言葉です。自分が何かを持っていないことを嘆くのではなく、自分に与えられているもので何が出来るのかを考える人でありたいと願っています。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※韓国での研修でルームメートだった李牧師との思い出の一コマです。
11月20日から12月7日まで、韓国チェジュ島のリーダーシップトレーニングセンターで行われた研修に参加してきました。韓国・中国・台湾・モンゴル・そして日本から牧師や教会リーダーが28名ほど集まり、英語とリーダーシップの研修を受けました。自ら希望しての参加だったにもかかわらず、出発が迫って来ると気が重くなり、大きな不安をかかえて研修が始まりました。
朝夕の礼拝、英語とリーダーシップの授業、運動やグループワーク、夜の振り返りの時間(もちろんすべて英語)など盛りだくさんのプログラムで、あっという間に時間が過ぎていきました。
英語のできない私にとって英語漬けの生活はとても辛いものでしたが、励まし合える仲間や心から信頼できる先生方やスタッフに支えられて、本当に恵まれた17日間を過ごすことが出来ました。
涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。
種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は/束ねた穂を背負い/喜びの歌をうたいながら帰ってくる。
(旧約聖書 詩編126:5,6 新共同訳聖書)
私たちの人生には「泣きながら出て行く」しかないような厳しい場面があります。しかし、その泣きながら歩いた道を、「喜びの歌を歌いながら帰ってくる」日が来るのだと聖書は私たちに約束しているのです。
出発時、泣きたい気持ちで出て行った道を、神様への感謝で心が満たされる思いで帰ってきました。共に学び、祈り合った仲間たちと、それぞれが神様から置かれた場所で支え合っていきたいと思っています。いま、「涙の道」を歩んでおられる方に、特別な神様の守りと祝福が注がれますように。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は、解散の朝、最初のグループの出発前にみんなでお祈りしている様子です(12月7日撮影)。
イエス様誕生の場面にシメオンとアンナという2人の老人が登場します。彼らはいずれも信仰熱く、神様に忠実に生きてきた人たちでした。彼らは約束の救い主、イエス様の誕生という歴史的な出来事の証人となりました。
シメオンとアンナについて、ルカによる福音書2章に記録されています。その箇所を読んでみると、この2人に共通する一つのキーワードがあることに気づかされます。
(下線は筆者)
シメオンは自分だけでなく、イスラエル全体が慰められるのを待ち望む人でした。そしてアンナも、約束の救い主と出会ったとき、その喜びの知らせを、救いを待ち望む人々に語り伝えました。
彼らはいずれも「待ち望む人」でありました。過去にとらわれ、将来を見通せなくなるのではなく、神の約束を信仰によってしっかりと握りしめ、約束の実現を待ち望んでいたのです。
旧約聖書イザヤ書にこのような言葉があります。
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。
(旧約聖書 イザヤ40:31 口語訳)
クリスマスが近づいてきました。救い主の誕生を待ち望みつつ、他者を祝福する豊かな生き方をした2人の信仰者に倣う者となりたいものです。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は広島三育学院高校チャペルの十字架と朝焼けです(10月31日撮影)。
さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人があった。イエスはその人が横になっているのを見、また長い間わずらっていたのを知って、その人に「なおりたいのか」と言われた。この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。イエスは彼に言われた、「起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい」。
(新約聖書 ヨハネによる福音書5:5~8 口語訳)
「病気の人に、しかも40年近くも苦しんできた人に『なおりたいのか』って、ちょっと無神経すぎる質問じゃないか?なおりたいに決まっているじゃないか。」
私はこの箇所を読むたびに、そう思っていました。
しかしあるときから、このイエス様の言葉が鋭く心に迫って来るように感じられるようになったのです。
うつ病になって仕事を休職し、なかなか職場復帰できずに過ごしていた時期のことです。なかなか復職できないことに焦りを覚え、「早く治りたい」という気持ちになる反面、「病気で休んでいる生活」に居心地の良さを覚え、色んな言い訳を探しながら(時に周囲に責任転嫁しながら)、「病」を自分の殻にしてそこに閉じこもろうとしている自分に気づかされたのは、そのころふと開いた聖書の中に、イエス様のこの言葉を見つけたときでした。 
「あなたは本当に立ち上がりたいと思っているのか?もしそうなら、自分の足で立ち上がりなさい。」イエス様から鋭く本心を見透かされ、しかしあたたかく問いかけられているような思いになりました。
この人はその後どうなったでしょうか?「すると、この人はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った」(同5:9)。イエス様は私たちになすべきことを示すだけでなく、それをする力を与えてくださるお方です。あなたの立ち上がる一歩を、イエス様が支えてくださいますように。
セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋
※写真は山梨県芦川町の林道の紅葉です(11月13日撮影)。