「丁寧な埋葬」

息子たちに祝福の言葉を残し、ついにヤコブさんは眠りにつきました。死者の埋葬方法は国によって様々ですが、ヤコブさんはエジプトの地で亡くなったため、エジプト式の埋葬準備がなされました。

ヨセフは自分の侍医たちに、父のなきがらに薬を塗り、防腐処置をするように命じたので、医者はイスラエルにその処置をした。 そのために四十日を費やした。この処置をするにはそれだけの日数が必要であった。エジプト人は七十日の間喪に服した。

(聖書 創世記 50:23新共同訳)

 エジプトでは、埋葬のために内臓を取り出したり液体につけたりと様々な処置を長い日数をかけて行います。

 このように、エジプト式で丁寧に処置を施された後、ヨセフさんは父の思いを叶えるためにカナンの地へ葬りに行かせてほしいと願い出ました。そして、ファラオも快く承諾したため、埋葬へと向かいました。

ヨセフは父を葬りに上って行った。ヨセフと共に上って行ったのは、ファラオの宮廷の元老である重臣たちすべてとエジプトの国の長老たちすべて、それにヨセフの家族全員と彼の兄弟たち、および父の一族であった。ただ幼児と、羊と牛の群れはゴシェンの地域に残した。また戦車も騎兵も共に上って行ったので、それはまことに盛大な行列となった。

(聖書 創世記 50:79新共同訳)

 エジプトで重役だったヨセフさんの父親を埋葬するということもあり、その埋葬行列は相当な規模のものとなりました。

 そして、この大行列は、それを目の当たりにした現地の人たちにとって相当インパクトのある光景となりました。

その土地に住んでいるカナン人たちは、ゴレン・アタドで行われた追悼の儀式を見て、「あれは、エジプト流の盛大な追悼の儀式だ」と言った。それゆえ、その場所の名は、アベル・ミツライム(エジプト流の追悼の儀式)と呼ばれるようになった。それは、ヨルダン川の東側にある。(聖書 創世記 50:11 新共同訳)

ヨセフさんのエジプトにおける周囲からの信頼は、父の埋葬の時の盛大さからも伝わってきます。

「おのおのにふさわしい祝福」

ヨセフさんの2人の息子を祝福したヤコブさんは、死を前にして12人の息子たちを集めて最後の言葉を語りました。

ヤコブは息子たちを呼び寄せて言った。 「集まりなさい。わたしは後の日にお前たちに起こることを語っておきたい。 ヤコブの息子たちよ、集まって耳を傾けよ。 お前たちの父イスラエルに耳を傾けよ。(聖書 創世記 49:12 新共同訳)

死ぬ直前の父から息子たちへの最後の言葉ということで、きっと感動的な言葉が語られるのだろうと期待したかもしれません。しかし、ここで父の口から語られた言葉は、それぞれの送って来た人生と、それぞれの子孫が歩んでいく将来の姿でありました。ある者はこれまでの人生における過ちとそれにともなう結果が語られました。また、ある者は大きな役割を担うことが告げられました。

ユダよ、あなたは兄弟たちにたたえられる。 あなたの手は敵の首を押さえ 父の子たちはあなたを伏し拝む。(聖書 創世記 49:8 新共同訳)

ユダさんは、長男ルベンさんの失態によって長子の特権を受けたリーダーでした。そして、兄弟たちの中でも特に弟をお思いやる気持ちのある人物でした。

そのユダさんの子孫に対してこのようなことが告げられました。

王笏はユダから離れず 統治の杖は足の間から離れない。 ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。(聖書 創世記 49:10 新共同訳)

これは、ユダの子孫からメシアが誕生するというものでした。このユダ族が、イエス・キリストに繋がる系図をつくっていきました。

父の口から語られた祝福の言葉の差に関して、昔の兄弟たちなら妬みや恨みを覚えて言い争っていたかもしれませんが、成長した彼らはそれぞれに語られた父の言葉を真剣に聞きました。

これらはすべて、イスラエルの部族で、その数は十二である。これは彼らの父が語り、祝福した言葉である。父は彼らを、おのおのにふさわしい祝福をもって祝福したのである。(聖書 創世記 49:28 新共同訳)

父ヤコブさんは、息子たちを心から愛して、誰かをえこひいきすることなく、全員に対してその愛を注ぎました。そして、おのおのにふさわしい祝福をしたのでした。

死に際にこんなことを言いたくないということもあったかもしれません。しかし、これも父の愛でした。それゆえに、ただの譴責ではなく、おのおのにふさわしい祝福の言葉としてそれぞれが最後の言葉を受け取っていきました。

「上に立てられる」

 目のかすんできていたヤコブさんによって祝福を受けたヨセフさんの2人の息子マナセとエフライムでしたが、その祝福の際にヨセフさんにとって不満を感じる出来事が起こっていました。

ヨセフは二人の息子のうち、エフライムを自分の右手でイスラエルの左手に向かわせ、マナセを自分の左手でイスラエルの右手に向かわせ、二人を近寄らせた。イスラエルは右手を伸ばして、弟であるエフライムの頭の上に置き、左手をマナセの頭の上に置いた。つまり、マナセが長男であるのに、彼は両手を交差して置いたのである。

(聖書 創世記 48:1314 新共同訳)

 祝福の際に右手を長男のマナセさん、左手をエフライムさんに置いてもらうはずでした。しかし、ヤコブさんは何故かその手を逆に置いたのでした。

それに対してヨセフさんは不満を抱きました。

ヨセフは、父が右手をエフライムの頭の上に置いているのを見て、不満に思い、父の手を取ってエフライムの頭からマナセの頭へ移そうとした。ヨセフは父に言った。「父上、そうではありません。これが長男ですから、右手をこれの頭の上に置いてください。」

(聖書 創世記 48:1718 新共同訳)

長男に長男としての祝福を与えてほしいと思うのは父であるヨセフさんからするとあたりまえのことだったと思います。また、もしかすると目がかすんでいたので間違ってしまったと思ったかもしれません。

しかし、この出来事は間違いではなく、確かに祝福を与えるヤコブさんの意図したことでした。

ところが、父はそれを拒んで言った。「いや、分かっている。わたしの子よ、わたしには分かっている。この子も一つの民となり、大きくなるであろう。しかし、弟の方が彼よりも大きくなり、その子孫は国々に満ちるものとなる。」その日、父は彼らを祝福して言った。「あなたによって イスラエルは人を祝福して言うであろう。『どうか、神があなたを エフライムとマナセのように してくださるように。』」 彼はこのように、エフライムをマナセの上に立てたのである。(聖書 創世記 48:19-20 新共同訳)

このような理由から、兄ではなく弟が上に立てられました。そして、エフライムさんの子孫は実際にこの後大きな役割を担っていくこととなりました。

振り返ると、ヤコブさんも兄から長子の特権を奪い、ヨセフさんも兄たちがひれ伏す存在となりました。その中にはドロドロとした人間関係がありました。しかし、神様の御計画の中でそれらが導かれてきたのでした。

「目がかすんでいても」

 死期が迫っていることを悟り、ヨセフさんに対して遺言を伝えたヤコブさんでしたが、その後再びヨセフさんを自分のもとへ呼ぶこととなりました。

これらのことの後で、ヨセフに、「お父上が御病気です」との知らせが入ったので、ヨセフは二人の息子マナセとエフライムを連れて行った。  (聖書 創世記 48:1新共同訳)

 147歳という高齢であり、病気を患ったことで本当に死期が近づいたことを感じていたことと思います。ヨセフさんは、そんな父親のもとに2人の息子を連れてお見舞いに向かいました。

 そこで、父からあるお願いをされました。

今、わたしがエジプトのお前のところに来る前に、エジプトの国で生まれたお前の二人の息子をわたしの子供にしたい。(聖書 創世記 48:5新共同訳)

 ヤコブさんは、2人の孫を養子にしたいと申し出ました。この2人の孫は、ヨセフさんがエジプトで結婚をして授かった子どもでした。つまり、イスラエル人の血とエジプト人の血をひいているわけです。

 本当であれば、この2人の孫はこの後エジプト人として高い地位を受けていくことができるはずでした。しかし、ヤコブさんは、神様に祝福されたイスラエルの家系にこの2人を招き入れたいと願いました。また、それは何よりも父ヨセフさんの願いでもありました。

イスラエルは、ヨセフの息子たちを見ながら、「これは誰か」と尋ねた。 ヨセフが父に、「神が、ここで授けてくださったわたしの息子です」と答えると、父は、「ここへ連れて来なさい。彼らを祝福しよう」と言った。 イスラエルの目は老齢のためかすんでよく見えなかったので、ヨセフが二人の息子を父のもとに近寄らせると、父は彼らに口づけをして抱き締めた。 (聖書 創世記 48:810 新共同訳)

 イスラエル、つまりヤコブさんは、この2人の息子を祝福する際、老齢のため目が良く見えない状態になっていました。まさに、自分が騙した父親のイサクさんと同じような状況にありました。2人の孫がエジプト人として高い地位を求めて生きたいと願ってこの申し出を良く思わなければ、騙すこともできたかもしれません。

しかし、ヨセフさんとその2人の息子は、目の良く見えないヤコブさんを騙すことなく、神様に従う生き方を選んでいったのでした。

「必ず連れ戻す」

神様に行きなさいと言われて移住したエジプトの地において、ヤコブさんは多くの祝福を受けました。

イスラエルは、エジプトの国、ゴシェンの地域に住み、そこに土地を得て、子を産み、大いに数を増した。ヤコブは、エジプトの国で十七年生きた。ヤコブの生涯は百四十七年であった。 (聖書 創世記 47:27-28 新共同訳)

 失ったと思っていた愛する息子との再会、そして、更には飢饉という状況においても神様の守りの中でどんどん繁栄していきました。

 しかし、ヤコブさんも年老いてこの世での歩みも終わりが見えてきました。

イスラエルは死ぬ日が近づいたとき、息子ヨセフを呼び寄せて言った。「もし、お前がわたしの願いを聞いてくれるなら、お前の手をわたしの腿の間に入れ、わたしのために慈しみとまことをもって実行すると、誓ってほしい。どうか、わたしをこのエジプトには葬らないでくれ。わたしが先祖たちと共に眠りについたなら、わたしをエジプトから運び出して、先祖たちの墓に葬ってほしい。」 ヨセフが、「必ず、おっしゃるとおりにいたします」と答えると、「では、誓ってくれ」と言ったので、ヨセフは誓った。イスラエルは、寝台の枕もとで感謝を表した。(聖書 創世記 47:29-31 新共同訳)

 ヤコブさんの遺言は、自分が死んだらエジプトの地ではなく、先祖と同じ場所に葬ってほしいというものでした。このお願いに対し、ヨセフさんは快く誓いをたてました。

ヤコブさんが神様からエジプトの地に行くようにと言われた時、神様はこんな約束をしておられました。

神は言われた。 「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。 わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」 (聖書 創世記 46:3-4 新共同訳)

 神様は、この子孫の繁栄と必ず連れ戻すという約束をしっかりと実現させてくださいました。

 神様は、今罪の世の中で生きてる私たちに対し、天の御国を用意してくださっています。キリストの十字架を信じ受け入れる人は、必ずそこに連れ戻して下さると約束してくださっています。