すべてのわざには時がある

昨年に続いて百合の花が見事に花開きました。四季折々の花は私たちの目を楽しませてくれます。

桜のように春に咲く花があり、アジサイのように梅雨時に美しい花を咲かせる花もあります。夏の厳しい暑さのもとで咲く花もあれば、秋に咲く花、厳しい冬の寒さの中でも花を開くパンジーやビオラのような花もあります。

今年も咲いた百合の花を見ながら、次の聖書の言葉が思い出されました。


 

天が下のすべての事には季節があり、20150620すべてのわざには時がある

   すべてのわざには時がある。

   生るるに時があり、死ぬるに時があり、

   植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、

   殺すに時があり、いやすに時があり、

   こわすに時があり、建てるに時があり、…。

(旧約聖書 伝道の書3:1~3 口語訳)


 

花は季節が来ればつぼみがふくらみ、やがて花を咲かせます。しかし、私たちの人生の「時」は、「夏が近いから百合の花が開く」というように先を見通すことができません。

「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」(同3:11)

と書かれている通りです。

苦しみのトンネルの出口が見える「時」。

涙を流しながら祈り続けてきた祈りがきかれる「時」。

・・・それがいつなのか、私たちには分かりません。しかし、植物が地に根を下ろし、生きているなら「時」が来て必ず花を咲かせるように、私たちも命の源である神様にしっかりとつながり続けているならば、必ず神様が「時」を備えていてくださると信じます。

神様の「時」に、花が咲くのを目撃し、共に心から神様を讃美する日が一日も早くきますようにと祈ります。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

第5回 「み言葉と食事を食べる会」の報告

さきほど「み言葉と食事を食べる会」が終わりました。

今日はルカによる福音書15:8~10の「見失った銀貨のたとえ」をみんなで読み、感想を分かち合いました。

またそれぞれの1週間を振り返る時間を持ちました。

いつもと同じ2015-06-12 17.24.26ように顔を合わせている者同士でも、「今週はこんなことがあったんですか?」と驚くようなこともあり、お互いをより深く理解し合う機会になっています。

 

 

 

「み言葉」の後は、「食事」をいただきます!

 

2015-06-12 18.22.46

今日のメニューは、

・ミートソーススパゲッティー

・かぶのスープ

・ヤングコーンとアスパラのフライ

でした。おいしかったです!

深く掘り下げるとき

しばらくぶりに再会した友人と、お互いの近況について語り合う機会がありました。

「物事が順調に進むこともあれば、何をやってもうまくいかないこともある。うまくいかないときはそこから逃げることなく、でも、必要以上に自分を責めたり落ち込みすぎたりすることもなく、静かにじっとこらえることが大切だと感じている。そういう時間にこそ、自分が成長することができる」という友人の言葉に励まされ、お互い仕事や立場は違っても大いに共感し合いました。

旧約聖書・ヨブ記は、「苦しみ」について私たちに多くの示唆を与えています。


 

人は暗黒の果てまでも行き/死の闇の奥底をも究めて鉱石を捜す。

地上からはるか深く坑道を掘り/行き交う人に忘れられ/地下深く身をつり下げて揺れている。

食物を産み出す大地も/下は火のように沸き返っている。

鉱石にはサファイアも混じり/金の粒も含まれている。

猛禽もその道を知らず/禿鷹の目すら、それを見つけることはできない。

獅子もそこを通らず/あの誇り高い獣もそこを踏んだことはない。

だが人は、硬い岩にまで手を伸ばし/山を基から掘り返す。

岩を切り裂いて進み/価値あるものを見落とすことはない。

(旧約聖書・ヨブ記28:3~10)


 

「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く。」20150613深く掘り下げるとき

これは、シドニーオリンピック女子マラソン金メダリスト高橋尚子さんが、高校時代の恩師の中沢正仁先生から送られた言葉だそうです。先の聖書の言葉と重なる部分があるように思いました。

逆境の日にも、腐らず諦めず、そこに踏みとどまって人生を掘り下げられる力と希望を、神様からいただきたいと思います。

※写真は、実家で父が育てたバラの花です。

 

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

 

第5回 「み言葉と食事を食べる会」のお知らせ

またまた、直前の告知になってしまいました、、、。

本日17時より、「み言葉と食事を食べる会」を行います。

聖書の言葉をみんなで読み、そこから受けた恵み・考えさせられたことを自由に語り合い、一緒に食事を食べる楽しい集会です!

毎回おいしい食事が用意され、個人的にもとても楽しみなひとときになっています。

皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

写真は過去の「み言葉と食事を食べる会」の様子です。

2015-05-08 18.09.352015-02-13 17.26.48

立ち上がるお手伝い

今週、ADRAJapanのネパール駐在スタッフの方による一時帰国報告会、「ネパールの『今』をお伝えします」に出席しました。

この地震によって8000人以上の方が犠牲になり、79万棟の建物に被害を受け、800万人が住まいを失いました。そのネパールで、ADRAが様々な支援をしている様子を知ることが出来ました。

「よその国からきた自分たち援助団体が1から10まですべてを援助するのではなく、ネパールの人たちが自信と誇りをもって自立していくために、黒子に徹して後からサポートして行きたい」というお話を聞いて、非常に考えさせられました。


ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。

(新約聖書 使徒言行録3:6,7 新共同訳)


倒れている人を立ち上がらせる働きが必要とされています。

ただ立ち上がらせるだけでなく、その人が「自立」できるようにサポートすること。自然災害に遭った方々に対してだけでなく、私たちが周りの方々と接する際にもあてはまる大切なことではないでしょうか。

ペテロは生まれつき足の不自由な人に、彼が求めてきたお金は与えず、「キリストの名によって立ち上がる」手助けをしました。

自分の足で立ち上がったこの人は、神様を讃美しながら神殿に入っていきました。

私たちが神様を信じていることが、何らかの形で、傷つき倒れている人の「自立」の助けにつながるようなものでありますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋20150606立ち上がるお手伝い

※写真は、学生時代にネパールで診療所建築のボランティアに参加したときのものです。