「拘りを捨てる」

ヤコブはベエル・シェバを出発した。イスラエルの息子たちは、ファラオが遣わした馬車に父ヤコブと子供や妻たちを乗せた。 ヤコブとその子孫は皆、カナン地方で得た家畜や財産を携えてエジプトへ向かった。 こうしてヤコブは、息子や孫、娘や孫娘など、子孫を皆連れてエジプトへ行った。 (聖書 創世記 46:57新共同訳)

神様からエジプトへ下ることを恐れてはならないと言われたヤコブさんは、ファラオさんから送られた馬車に乗ってエジプトの地へと進みました。

ヤコブさんと息子たちだけではなく、その家族も含めて皆でエジプトの地を目指しました。

ここまで大所帯にも関わらず、兄弟誰も欠けることなく、また、仲間割れして離脱することなくエジプトへ向かうことができたのは、この家族が本当に神様によって成長させられたということの証だったのではないかと思います。

また、それを願って「途中で争わないでください」と言ったヨセフさんの言葉も兄弟たちの心に響いていたのかもしれません。

そして、聖書はエジプトの地へ向かった家族についてこのように記しています。

ヤコブの腰から出た者で、ヤコブと共にエジプトへ行った者は、ヤコブの息子の妻たちを除けば、総数六十六名である。エジプトで生まれたヨセフの息子は二人である。従って、エジプトへ行ったヤコブの家族は総数七十名であった。(聖書 創世記 46:2627 新共同訳)

さて、この大所帯がエジプトの地に入るにあたり、ある人物がヤコブさんからお遣いを頼まれました。

ヤコブは、ヨセフをゴシェンに連れて来るために、ユダを一足先にヨセフのところへ遣わした。そして一行はゴシェンの地に到着した。(聖書 創世記 46:28 新共同訳)

こお大所帯の族長ヤコブさんから、代表に任命されたのはユダさんでした。これは、ただ単にお遣いを頼みますというだけではなく、この一族の中で父から相続を受ける立場にある存在であるということを示すものでもありました。

ヤコブさんは、昔、他の兄たちをさしおいてヨセフさんを溺愛していた過去がありました。そして、そのヨセフさんを失った後、その偏愛はベニヤミンさんに向けられました。今までのヤコブさんであれば、相続はベニヤミンさんにと言って譲らなかったのではないかと思います。

 しかし、今、この家族の長は、偏愛する息子ではなく、年齢的にもふさわしく、経験やリーダーシップもあるユダさんを代表と認め、送り出したのでした。

 神様は、私たちの持つ偏った拘りを打ち砕き、成長させてくださる方です。

「その場所で」

エジプトから戻った息子たちから気が遠くなるような話を聞かされたヤコブさんでしたが、ヨセフさんに会えるという希望を受け入れて旅立ちました。

イスラエルは、一家を挙げて旅立った。そして、ベエル・シェバに着くと、父イサクの神にいけにえをささげた。その夜、幻の中で神がイスラエルに、「ヤコブ、ヤコブ」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、神は言われた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする。わたしがあなたと共にエジプトへ下り、わたしがあなたを必ず連れ戻す。ヨセフがあなたのまぶたを閉じてくれるであろう。」(聖書 創世記 46:14 新共同訳)

エジプトに向かう道中、父イサクさんの所縁の場所で神様を礼拝しました。その時、ヤコブさんは神様から語りかけられました。

その内容は、エジプトへ下ることを恐れてはならないというものでした。ヤコブさんにとってエジプトという地は特別な場所でした。それは、祖父アブラハムがエジプトの地でファラオに対し妻を妹と偽る事件を起こし、父イサクに対しては神様からエジプトの地にいってはならないと示されたという経緯があったからでした。

代々エジプトの地とは距離を置くような家系であったため、自分がエジプトの地に行くことは神様の御心なのであろうかという恐れがあったことと思います。

しかし、神様はそんな恐れを抱くヤコブさんに対し、「わたしがあなたと共にエジプトへ行く」と力強い約束をしてくださいました。

しかし、神様の御計画は、イスラエルの民がエジプトをゴールにすることではありませんでした。神様は、彼らをカナンという約束の地に連れていくことを計画しておられました。

それに向けて、今ある神様の御計画は、彼らがエジプトの地に移り住み、その中でもファラオが特別に与えてくれる場所に住むことで、エジプトという国の文化や偶像礼拝の宗教的影響を受けずに生活をしていくということでした。

そして、「わたしはあなたをそこで大いなる国民にする」。つまり、この整った環境の中で彼らが繁栄していくことが神様の御計画でした。

神様の御計画は私たちの想像を超えるものです。どうして私がこの場所で?と問いたくなることもあります。しかし、その背後には神様の綿密な御計画があるんだということです。

「恐れてはならない。わたしが共に行く」という神様の言葉は、私たちにとっての大きな励ましです。

「疑いが晴れる」

 エジプトの地に父を連れてくるため、兄弟たちは沢山の食糧や贈り物を携えて出発しました。

 これで父の喜ぶ顔が見られると思った兄弟たちでしたが、一連の出来事に関する報告を聞いた父の反応は、喜びとは異なるものでした。

兄弟たちはエジプトからカナン地方へ上って行き、父ヤコブのもとへ帰ると、直ちに報告した。「ヨセフがまだ生きています。しかも、エジプト全国を治める者になっています。」父は気が遠くなった。彼らの言うことが信じられなかったのである。(創世記 45:2526 新共同訳)

 死んだと思っていた息子ヨセフが生きている。そして、エジプトの国を治める存在になっている。普通ならこの報告は嬉しいものですが、父の心には複雑なものがありました。

 ヨセフさんを失った日、また今回エジプトから一時帰郷した時、息子たちが自分の所に何か報告しに来るときには、いつも悪い事ばかりでした。

 そんな中で、今度はあのヨセフが生きているという報告を聞き、もううんざりだと思ってしまったのかもしれません。それに加えて、エジプトの地で偉い人になっているというわけのわからない話をしている。息子たちの言っていることを信じることができない状態になっていました。

 そこで、兄弟たちは、ヨセフさんから言われていた通り、エジプトで見たこと全てを話しました。そして、ヨセフさんから預かってきたものを見せ、ヨセフさんは本当に生きていて、エジプトで国を治めてる存在なんだということを示しました。

彼らはヨセフが話したとおりのことを、残らず父に語り、ヨセフが父を乗せるために遣わした馬車を見せた。父ヤコブは元気を取り戻した。イスラエルは言った。「よかった。息子ヨセフがまだ生きていたとは。わたしは行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい。」(創世記 45:27-28 新共同訳)

 ヨセフさんを失い誰も慰めることができない状態になり、更には大事なベニヤミンさんをエジプトに送らなければならない状況になり生きた心地がしない日々を送っていたであろう父ヤコブさんでしたが、失った息子との再会の希望、そして、それを裏付ける証拠の品々を目の前にして、神様に祝福されたイスラエルとしてもう一度立ち上がりました。

「争わないでください」

ヨセフさんとファラオというエジプトのトップから、家族をエジプトの地に連れてくるようにとの申し出を受けました。

 イスラエルの息子たちはそのとおりにした。ヨセフは、ファラオの命令に従って、彼らに馬車を与え、また道中の食糧を与えた。ヨセフは更に、全員にそれぞれ晴れ着を与えたが、特にベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五枚を与えた。父にも、エジプトの最良のものを積んだろば十頭と、穀物やパン、それに父の道中に必要な食糧を積んだ雌ろば十頭を贈った。(創世記 45:21-23 新共同訳)

 出発にあたって、旅に必要なものは全て与えられました。そして、ヨセフさんは、旅立ちにあたって1つだけ注意事項を伝えました。

いよいよ兄弟たちを送り出すとき、出発にあたってヨセフは、「途中で、争わないでください」と言った。(創世記 45:24 新共同訳)

 今はエジプトの地で予想外の出来事が立て続けに起こり、更にはヨセフさんを目の前にしている手前兄弟たちは心1つにしていました。しかし、もしかすると帰りの旅路で過去の出来事を振り返り誰が悪いという話をし始めるかもしれません。また、一番下の弟ベニヤミンさんが兄たちよりも多くのものを与えられていることに対し、昔ヨセフさんに抱いたような嫉妬や恨みという感情を抱いてしまうかもしれません。そんなことにならないようにとヨセフさんはこのたった1つの注意事項を与えたのでした。

 ヨセフさんは、一連の試みを通し、兄たちがこの空白の期間でどのように変化をしてきたのか様子を伺ってきました。そして、昔の兄たちとは違うということを知ることができました。だからこそ、もう昔のような兄たちに戻ってほしくないという強い願いをこめて、「争わないでください」という言葉を伝えたのではないかと思います。

 私たちは、罪人であるにも関わらず、神様から赦しを与えて頂いている存在です。その赦しには、十字架の死という大きな代償が伴いました。

 しかし、もし私たちが、「赦されたからもう大丈夫。好きに生きていっていいんだ。」と言って、またもとの生活、ヨセフさんの兄たちで言うところのヨセフさんを売り飛ばした頃の恨みや憎しみに支配された生活を送ってしまうのであれば、それは神様が意図しているものとは程遠いものとなってしまいます。

 神様は、私たちに赦しを与え、それを信じ受け取った私たちが争うのではなく感謝を持って歩んでいくことを願っておられます。

「未練を残さずに」

ヨセフさんと兄弟たちの再会は、誰も予想しなかった方法によってなされました。神様の御計画のうちに、長い年月をかけて一人一人の心が変えられ、再会のために備えられました。

 この兄弟たちの再会は、涙を流さずにはいられない感動的なものでした。ヨセフさんが身を明かす前にも共に食事をしながら語りあいましたが、今回は正真正銘、兄弟として語らいの時を持ったのでした。

 そして、この感動の再会は、ヨセフさんたちの中にはとどまりませんでした。

ヨセフの兄弟たちがやって来たという知らせがファラオの宮廷に伝わると、ファラオも家来たちも喜んだ。(聖書 創世記 45:16新共同訳)

エジプトのナンバー1であるファラオにもこの知らせが伝わりました。そして、ファラオからの絶対の信頼を得ていたヨセフさんが、長年離れ離れになっていた家族と再会を果たしたということで、ファラオやその家来たちも共に喜びに満たされました。

 そして、この喜びの知らに対して、ファラオはある提案をしました。

ファラオはヨセフに言った。「兄弟たちに、こうするように言いなさい。『家畜に荷を積んでカナンの地に行き、父上と家族をここへ連れて来なさい。わたしは、エジプトの国の最良のものを与えよう。あなたたちはこの国の最上の産物を食べるがよい。』 また、こうするよう命じなさい。『エジプトの国から、あなたたちの子供や妻たちを乗せる馬車を引いて行き、父上もそれに乗せて来るがよい。家財道具などには未練を残さないように。エジプトの国中で最良のものが、あなたたちのものになるのだから。』」(聖書 創世記 45:17-20 新共同訳)

ファラオの提案は、家族を皆エジプトへ連れてくるようにというものでした。そして、そこで一緒に住むようにというものでした。

しかも、エジプトの国で最良のものを与えるという約束までしてくれたのでした。ヨセフさんがどれだけファラオに対して誠実であったかということが良くわかる提案に思います。

そして、ファラオが最後に言ったのは、今住んでいる土地で使い慣れた家財道具などに未練を残さず、何も持たずに引っ越してくるようにということでした。

何故なら、ここで最良のものを用意して待っているからという約束があったからです。

 神様は、私たちを神の国へ招いてくださっています。そこには、私たちにとって最良のものが用意されています。

 だから、今この世で私たちの心を惹く様々なものに未練を残すことなく、私の用意する御国へ入りなさいと招いてくださっています。