ショートメッセージ」カテゴリーアーカイブ

最も落胆しているときが…。

色々なことを思い煩っているうちに眠れなくなり、苦しんでいた夜、知らない人から一通のメールが届きました。外国からのメールだったので「迷惑メールかな?」と思ったのですが、件名は“Praying for you”とありました。読んでみてビックリしました。

 1月の全国牧師会のときに、世界総会のスタッフの方から「世界総会では日本の牧師たちのために毎日祈っています。より気持ちを込めて祈るために皆さんの写真を撮らせて下さい。そして祈りのリクエストのカードを出してください。」という呼びかけがあったのを思い出しました。このメールは世界総会で働く一人の牧師からのものでした。

自分が苦しんでいるちょうどそのときに「あなたのために毎日祈っているよ」というメールを受け取ったことで、私は「神様は私のことを覚えていてくださるのだ」と強く感じることが出来ました。そのメールにとても励まされたことを返信すると、翌日もう一度返信がありました。そこには次の文章が添えられており、さらに励まされました。


 神の導きのみ手を求めて手を差し伸べているすべての者にとって、最も落胆しているときが、神の助けが一番近い時である。彼らは自分たちの道の一番暗かったところを感謝をもってふりかえるであろう。「主は、信心深い者を試練の中から救い出」される(Ⅱペテロ2:9)。誘惑のたびに、試みのたびに、主はそこから彼らを、もっと固い信仰、もっと豊かな経験をもって導き出される。

(エレン・ホワイト『各時代の希望』58章より)


私は人が誰かのために祈ることの力と意義を信じます。一度も会ったことのない人であっても、その人のために心から神様に祈りをささげるときに、神様は私たちが思いもよらないような方法とタイミングでその祈りに応えてくださるのです。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※写真は高尾梅郷、木下沢梅林の梅の花です。

決して忘れず、覚えているからこそ

2011年の東日本大震災から、6年が過ぎようとしています。あの日起きた巨大な地震は、この国で生活していたすべての人の心の中に大きな爪痕を残しました。

しかし、人間は忘れる生き物です。大きな痛みと共に学んだことを時間の経過の中で忘れてしまわないために、日本中で「あの日を忘れない。」という呼びかけがなされています。

私は次の聖書の言葉を思い出しました。少し不思議な言葉にも思えます。


わたしの魂は平和を失い/幸福を忘れた。

わたしは言う/「わたしの生きる力は絶えた/ただ主を待ち望もう」と。

苦汁と欠乏の中で/貧しくさすらったときのことを

決して忘れず、覚えているからこそ/わたしの魂は沈み込んでいても

再び心を励まし、なお待ち望む。

主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。

(旧約聖書 哀歌3:17~22 新共同訳)


「苦しみを覚えているからこそ、私は神の慈しみを待ち望む」と、この言葉は言っています。私たちは苦しみを忘れようとします。しかし、苦しみを覚えているからこそ得られる希望や慈しみがあるのだと聖書は教えているのです。

過ぎ去ったと思っていた苦しみや痛みが、何かの拍子にぶり返してくるのは本当に辛いことです。「もう治ったと思っていたのに…。」とつぶやきたくなります。しかし、その痛みを覚えているからこそ、受け取ることのできる神様の憐れみがあるのだとするならば、その痛みにも大切な意味がある、と言えるのではないでしょうか。

あの災害が、いまだに過去のことになっていない方々がたくさんおられます。あの日のことを思い出すことで、心の傷が再び疼くという方もおられるでしょう。決して絶えることなく、尽きない神の慈しみが私たちの傷を優しく包んでくださる日が一日も早く来ますように。

※写真は、2011年4月に仙台を訪問した際の新幹線の車両です。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

春を待ち望む

プランターに植えたビオラの花の間から、今年もチューリップの芽が顔を出しました。一番寒さの厳しいこの季節にチューリップは土の中で生長し、地面に芽を出します。私は毎年その姿を見ると何とも言えない愛おしい気持ちにさせられます。励まされます。チューリップはあたたかくなったから発芽するのではありません。厳しい寒さの最中に土の中で育ち、芽を出すのです。彼らは私たちに春がもうすぐそこまで来ていることを知らせてくれます。春を待ち望むこの季節に、神様は20170225春を待ち望む様々な植物を通して私たちに「待ち望む」ということの大切さを教えてくださっているのかも知れません。

神を待ち望んだ人々は、待つに値する約束が与えられていました。彼らは、種から生長し始めた芽のように、自分たちの中で動き始めた何かを受け取ったのです。このことはとても重要です。というのは、人が本当に待つことができるのは、待ち望んでいることが、すでに自分たちの中で始まっている場合にのみ可能だからです。…待つことの秘訣は、種はすでに蒔かれており、そこに何ごとかが始まっていると信じることです。

(ヘンリ・ナーウェン『待ち望むということ』より)

私たちの人生には、待ちくたびれるような出来事、なかなか期待しているような結果が出ずに途方に暮れるようなことがたくさん起きます。しかし、聖書は私たちに「主を待ち望むことの力」を約束しています。


しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。

(旧約聖書 イザヤ40:31 口語訳)


厳しい寒さの中にあっても、植物が春に向けて着実に生長するように、私たちがそれぞれに置かれた厳しい現実の中にあって、神様からの希望を見いだすことが出来ますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

目標を目指してひたすら走る

昨年11月から英語の勉強をしています。毎日少しずつ勉強するようにしていますが、順調に進むこともあれば、なかなか先に進めないこともあります。

先週、英文法の確認テストをしました。40問中半分の正解でした。このままでは先に進めないと思い、今週もう一度その箇所を復習し、先日同じテストを受けました。結果は…40問中30問正解でした。しかし、分からない問題は教科書を見ながら解きましたので、実際にはもっと低い点数だったと思います。

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私はもう一度この箇所を復習する必要があると思いました。十分に理解していないまま先に進んでも、さらに分からなくなるだけだからです。しかし、同時に焦りを覚えました。同じ箇所を何度もやっていたのでは、先に進むことが出来ないからです。頭を抱えながら先生に相談すると、こんな返事が返ってきました。

「すべての人には『自分のペース』があります。これはあなたが私に教えてくれたことです。あなたは自分のベストを尽くしました。それが最も大切なことです。」

「自分のペースを守ることが大切」というのは、私がランニングをするときに自分に言い聞かせていることでした。自転車であれ、ランニングであれ、山歩きであれ、無理せず自分のペースで前進し続けることがゴールにたどり着く最も確実な方法です。私はこの聖書の言葉が大好きです。


なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

(新約聖書 フィリピの信徒への手紙3:13,14 新共同訳)


本気で前進しようとすればするほど、逆風が吹き付け、強い重力を感じるものです。しかし私たちには目指すべきゴールがあります。今日一日の歩みが、それぞれのゴールに一歩でも近づくものでありますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

夜、そばに立って語られる主

気持ちが落ち込んでいるときや、困難な状況に陥っているとき、周囲からの励ましや祈りに支えられることがしばしばあります。「応援しているよ!」「あなたのために祈っているからね。」私自身、これまで何度もそのようなあたたかい言葉に励まされ、立ち上がることが出来ました。

しばらく前になりますが、様々な思いわずらいに心が押しつぶされそうになり、自分の部屋からなかなか出られない日がありました。そんな朝、憂うつな気持ちを必死に振り払うように聖書を開くと、次の言葉が与えられました。


 その夜、主はパウロのそばに立って言われた。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない。」

(新約聖書 使徒言行録23:11 新共同訳)


私たちの主は、私が夜(お先真っ暗な状況)を過ごしているときにこそ、そんな私のそばに立って、優しくそして力強く語りかけてくださる方であることを、私は体験しました。その日、不安な

気持ちになることもありましたが、その朝与えられた聖書の言葉に勇気づけられて(「勇気を出せ!」と自分に言い聞かせながら)、一日を乗り切ることが出来ました。

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私たちが力を失っているとき、周囲の人の支えによってそこから立ち上がることができるのは本当に素晴らしいことです。しかし、誰からの助けも得られず、「自分は孤独だ!」と絶望させられるようなときに、神様から自分に語られた言葉によって力を得、立ち上がることのできる人はさらに幸いな人ではないでしょうか?使徒パウロを困難の中で前進させ続けたのは、そのような上からの力でした。私は人から慰めや励ましの声を聞く以上の真剣さと期待感をもって、神様の声に耳を傾けているだろうか?そう自問させられた一日でした。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋