ショートメッセージ」カテゴリーアーカイブ

昼も、そして夜も

「本音の言葉」には人の心を打つ力があります。

詩編を読んでいると、特にそのように感じます。詩編記者は、苦しみの中から神様に向かって叫び、訴えています。「え?ここまで言ってしまっていいの?」と思うような本音の言葉を神様にぶつけている箇所がたくさんあります。そしてそれらの叫びの合間に、神様への讃美の言葉、信仰の言い表しの言葉がちりばめられているのです。

ときに神様を讃美し、またあるときには神様に苦しみを訴える。これが私たちの現実でもあろうかと思います。喜びも苦しみも、本音で神様にぶつけ続けた詩編記者が残した次の言葉に、ハッとさせられました。


昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです。

(旧約聖書・詩編74:16 新共同訳)


詩編記者がそうであったように、私たちの人生にも「昼」「夜」があります。光が届き、先を見通すことのできるときだけでなく、お先真っ暗に感じられる試練の夜にも、神様が共にいてくださることを聖書は約束しています。

物事が順調に進んでいるときにも、そして逆風に苦しむ試練の日にも「昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです」というこの言葉は、移ろいやすい私たちの心を神様に立ち返らせてくれる力を持っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

  • 20150228昼も、そして夜もちょうど1年前の甲州街道・大垂水峠での写真です。今年はこのまま大雪にならずに春を迎えられるでしょうか…。

主が救い出されたことを思い起こしなさい

先週に続いて「忘れる」ということを考えている中で、旧約聖書に考えさせられる言葉がありました。

自分のもとに売られてきた奴隷が6年間働いたならば、7年目には彼らを解放してやりなさい、しかも彼らに惜しみない贈り物をもたせなさい、と神様はイスラエルの民に言われました(申命記15:12~14)。

その理由について続きの箇所に次のように書かれています。


 

「エジプトの国で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が救い出されたことを思い起こしなさい。それゆえ、わたしは今日、このことを命じるのである。」

(申命記15:15 新共同訳)


 

エジプトで奴隷だったイスラエルの人々も、時が流れ、環境の変化の中でかつての苦しみや痛みを忘れ、実際にエジプトで奴隷生活を経験した世代はいなくなったことでしょう。人間は「忘れる」生き物なのです。そんな人間に神様は言われるのです。「かつてあなたが奴隷だった日のことを、そしてわたしがあなたをそこから救い出したことを忘れないようにしなさい」と。

苦しみを経て人は自分に対して謙虚に、そして他者に優しくなることが出来ます。その苦しみから自分を救い出してくださった神様に感謝します。しかし、苦しみが過去のものになってしてしまうとき、神様への感謝も、同じような苦しみの中にある人への優しい気持ちも風化してしまうのです。

私たちの周りに、私のかつての傷、かつての苦しみのゆえに、分かり合える傷・苦しみを抱えておられる方がおられないでしょうか。私を救い出された神様の御手を思い起こし、苦しみの中にある方のために祈りたいと思います。

20150221主が救い出されたことを思い起こしなさい

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※今週出会った風景:雨上がりの小径。

目を留められる神

「わたしのこと、覚えていますか?」

そう声をかけられてドキッとした経験がありませんか?

わたしはあります。たとえば、立派に成長して見違えるほど立派になった青年としばらくぶりに再会して、とっさに名前が出てこないようなとき、冷や汗をかきながら必死に記憶の糸を手繰り寄せるようなときです(「○○です。覚えていますか?」って言ってくれたらとても助かるんだけど…と思いながら)。

しかし、この「わたしのこと、覚えていますか?」という言葉は、どんな人の心の中にもある「自分のことを心に留めている人がいるのだろうか」という根源的な問いでもあるように思うのです。

イエス様の隣りで十字架につけられた犯罪人は、死を前にして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言いました(新約聖書 ルカによる福音書23:42 新共同訳)。

物事がうまくいかないとき、人間関係が行き詰ってしまうとき、手痛い失敗をして自己嫌悪に苛まれるとき、わたしたちは「自分なんていない方がよかったのではないか」とか「だれも自分のことを必要としていないのでは」と思い悩みます。

しかし聖書によれば、神様はそんなわたしたちを決して忘れることなく、どんな状況にあっても目に留めていてくださるというのです。


 

主は天から見渡し20150214目を留められる神 

人の子らをひとりひとりご覧になり

御座を置かれた所から 

地に住むすべての人に目を留められる。

人の心をすべて造られた主は 

彼らのわざをことごとく見分けられる。

(旧約聖書・詩編33:13~15 新共同訳)

 


私たちの人生には、冷たい北風を必死に耐え続けなければならないときがあります。

そんなときにも「神様が目を留めていてくださる」この約束から平安を受け取って生きていきたいと思います。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

今、光は見えないが…。

二週続けての積雪予報が出ていましたが、今週はほとんど積雪もなく、ホッとしたような残念だったような気持ちになりました。

厳しい寒さが続きますが、身の回りに「春の兆し」が少しずつ現れつつあるのを感じる季節になりました。

写真は、自宅前のプランターです。よく見ると土の中からチューリップが芽を出し、少しずつ成長しているのが分かります。雪が降り、毎朝霜が降りる厳しい寒さの中にあって、土の中では新しい命が少しずつ、しかし確実に成長しているその姿に励まされる思いがします。

聖書の中に次のような言葉があります。


20150207今、光は見えないが…。

今、光は見えないが

それは雲のかなたで輝いている。

やがて風が吹き、雲を払うと

北から黄金の光が射し

恐るべき輝きが神を包むだろう。

(旧約聖書・ヨブ記37:21,22 新共同訳)

 


私たちの人生は、「今は見えない光」を手探りで探すようなものかもしれません。いつも自分の目の前の道がハッキリと見えているわけではありません。しかし、「光が見えない」ということは「そこに光がない」ということではありません。

聖書は「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」と教えています(ヘブライ人への手紙11:1 新共同訳)。

愛を込めて私たちに命を与え、私たちの人生を導いて下さるお方が確かにおられる。私たち自身は揺らぐことがあっても、このお方は決して揺らぐことがない。そのことをいつも心に刻みながら、日々を生きていきたいと思います。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

思いを込めて造られた

神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。

(旧約聖書 創世記1:31・新共同訳)


美術大学の卒業制作展を見学する機会がありました。日ごろなかなか触れる機会のない大学のキャンパスや作品を見学して有意義な時間を過ごすことが出来ました。

それぞれの作品には、制作者がどんな思いを込めて制作にあたったのか、解説の文章が添えられており、それを読みながら作品を見ることで、作品や制作者の思いを知ることが出来て非常に興味深く感じました。会場で頂いたパンフレットにこのような言葉が書かれていました。

「(この制作展は)単なる作品展示の場ではありません。同時にそこは、これまでの学修成果が最終的に評価される真剣勝負の場でもあります。そのような空気を感じながら、私たちの造形活動を是非ご覧ください。」

「ものをつくる」ということは、真剣勝負であり、「つくられたもの」には作者の熱い思いが込められています。「土の器」という讃美歌の中に、次のような言葉があります。


 私たちは土の器 あなたの思いを込めて造られた20150131思いを込めて造られた

私たちは土の器 あなたの光で輝く器

どうかわたしが 自分を嘆かぬように

あなたに造られた その意味を忘れぬように

(作詞・作曲:若林栄子『土の器』より)

 


私はこの「あなたの思いを込めて造られた」という歌詞に何度も慰められました。

自分で自分自身のことをどのように感じていようとも、「わたしは神様が思いを込めて創造された作品なのだ」ということを思い出させてくれるからです。

私たちの人生には、ひどい失敗に打ちのめされたり、全く自信を失ってしまうような日があります。しかし、神様がわたしを「思いを込めて造られた」ことを思い出すとき、心に希望が湧いてくるのです。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋