涙と共に種を蒔く人は

今から32年前の4月、こぼれ落ちそうな涙を必死にこらえながら、両親が住む家を出て、全寮制の北浦三育中学校に入学して寮生活を始めました。両親が北浦三育中学校男子寮で働いていましたので、同じ建物の「舎監室」から「寮内」に移動しただけでしたが、新しい世界に出て行くのが不安でたまらなかったのを今でもはっきりと覚えています。


 

IMG_20150409_123221

 

涙と共に種を蒔く人は

喜びの歌と共に刈り入れる。

種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は

束ねた穂を背負い

喜びの歌をうたいながら帰ってくる。

(詩編126:5,6 新共同訳)


当時中学生だった私はこの聖書の言葉をまだ知りませんでしたが、あとから振り返ってみてもこの聖書の言葉は本当だ!と心から思える、充実した中学校生活を送ることが出来ました。そして中学校時代だけでなく、自分の人生の様々な場面を振り返るとき、やはりこの聖書の言葉は真実であると、今も信じています。

32年が過ぎて、長男・次男に続いて今週、三男を同じ北浦三育中学校に送り出しました。自分が中学1年生20150411涙と共に種を蒔く人はで入寮するときにこらえた涙とは、また違う涙を必死にこらえながら息子を見送りました。

神様の言葉は今も真実で、出て行く者・送り出す者も共に成長して、喜びあう日を必ず迎えさせてくださると信じます。

そして今、様々な理由で必死に涙をこらえつつ、日々の歩みに出て行こうとしている方々の涙を、神様ご自身が「ことごとくぬぐい取ってくださる」(ヨハネの黙示録21:4 新共同訳)日が、一日も早く来ることを心から祈っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

「み言葉と食事を食べる会」のお知らせ

4月に入りました。

今月も第2金曜日の夕方、「み言葉と食事を食べる会」をします。

日時:4月10日(金)17時~18時半くらい

場所:セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会

集まった皆さんと、それぞれの1週間について語り合い、聖書の言葉を読み、美味しいご飯を食べる、ゆったりとしたひとときです。皆さまのお越しをお待ちしております!

写真は第一回、第二回の「み言葉をと食事を食べる会」の様子です。

 

2015-02-13 17.26.482015-03-13 18.31.44

 

木には希望がある

桜前線が日本列島を北上中です。桜の季節になると思い出される一本の木があります。

それは以前住んでいた家からほど近い、亀甲山教会の裏の竹林の中に立つ桜の古木です。周囲を孟宗竹に囲まれて肩身が狭そうに、それでも大地にしっかりと根をおろして立っています。

亀甲山の春の楽しみのひとつはタケノコ掘りです。タケノコが傷つかないようにていねいに掘り出すのは、結構骨の折れる作業です。タケノコ掘りをして気持ち良い汗をかいてひと休みするとき、この桜の木の下に腰をおろして桜の花を見上げるのが楽しみでした。

桜が咲く季節、「桜の名所」と呼ばれる場所には花見客が集まり、桜の木々はライトアップされたります。そのように人々の注目を集める桜の木々がある一方で、この亀甲山の竹林の桜は、ほとんど誰にも見られることもなく、それでも毎年必ずきれいな花を咲かせます。私はこの桜の古木に、誰に見られていても、あるいは見られていなくても、自分が置かれた場所で地に根をおろして生きることの尊さを教えられたような気がします。

20150404木には望みがある

 


 

木には望みがある。

たとい切られてもまた芽をだし、

その若枝は絶えることがない。

(旧約聖書 ヨブ記14:7 口語訳)


 

十字架の上でその命を「切られても」よみがえり、私たちに永遠の命に至る信仰の芽を分け与えてくださったイエス様に、いつもつながっていたい。そしてイエス様によって植えられた場所で、しっかりと根をおろして生きる者でありたいものです。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

※亀甲山教会は、神奈川県横浜市旭区にあるセブンスデー・アドベンチストの教会です。

自分の心を守れ

1月から3月まで、私たちの教会では旧約聖書の「箴言」から学びました。「箴言」には考えさせられる言葉がたくさんありましたが、私が一番心に残ったのは次の言葉でした。


 

20150328自分の心を守れ何を守るよりも、自分の心を守れ。

そこに命の源がある。

曲がった言葉をあなたの口から退け

ひねくれた言葉を唇から遠ざけよ。

目をまっすぐ前に注げ。

あなたに対しているものに

まなざしを正しく向けよ。

(旧約聖書 箴言4:23~25 新共同訳)

 


「自分の心を守る」とは、自分本位に生きることではありません。自分に都合の悪いことに目を閉ざすことでもありません。私たちは時として目の前にある現実の厳しさのゆえに、それを直視するのが辛くなってしまうことがあります。しかし箴言は、「曲がった言葉・ひねくれた言葉を捨てて、目をまっすぐ前に注げ」と教えています。

あなたは「自分の心を守る」ための時間を持てていますか?

「忙」という漢字は「心を亡くす」と書きます。人間は忙しさの中で自分の心を振り返る時間を失い、やがては心を失ってしまうのです。

どんな厳しい現実の中にあってもあなたの心が守られて、喜びと希望をもって毎日を過ごすことができますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

手入れをなさる主

3月10日、聖書のつどいの皆さんと、府中郷土の森公園に梅のお花見に行ってきました。

公園内には約60種類・1100本の梅が植えられていて、訪れる人たちの目を楽しませてくれます。

20150321手入れをなさる主梅の花を眺めながらお弁当をいただき、その後ゆっくりと園内を散策して梅林の眺めや香りを楽しむことが出来ました。

間もなく梅の花の見頃は終わり、桜の開花の季節を迎えようとしています。美しく花が咲く時期、花見の名所にはたくさんの人が集まります。

しかし、その陰で人知れず木の管理・手入れをしている方々がおられるということ、そしてこれだけの梅林や公園に植えられた植物の管理にはどれほどの苦労があるのだろうかと、考えさせられました。

 


わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。

しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

(新約聖書 ヨハネによる福音書15:1,2 新共同訳)


美しい花を咲かせ、豊かな実を実らせるためには樹木の手入れが不可欠であるように、私たちも神様によって「手入れをされる」ことがあります。それは自分の身を切られる、大きな痛みの伴う経験です。しかしこの痛みは、私を不幸にし、滅ぼすためのものではなく、より多くの花を咲かせ、実を残すための「手入れ」なのだと聖書は教えているのです。

「神様…。正直言うと痛いのはイヤですが…あなたが良いと思われることを行ってください。」

それがわたしの祈りです。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋