第2回「み言葉と食事を食べる会」の報告

3月13日(金)17時より、甲府教会で二回目の「み言葉を食事を食べる会」がもたれました。

今回は前回よりも少し参加者が少なくなりましたが、それでも7人が集まりました。

讃美歌を歌い、それぞれに1週間の出来事を語り合い、聖書の言葉に耳を傾けました。

私はこの1週間あったことを語り合う時間が好きです。

参加者の皆さんとは毎日会えるわけではありませんが、一人一人のお話を聞いていると

「この方はこんなことがあった1週間だったんだなあ~」と、その方の生活の一端を垣間見ることができるからです。

今回の食事は…グルテンの味噌かつ丼・お吸い物・ふきのとうの天ぷらでした!

どれも本当に美味しかったです!

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次回の「み言葉と食事を食べる会」は、4月10日(金)17時からです。

皆さまのお越しをお待ちしております。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

見よ、わたしは新しい事をなす

卒業、転勤、就職…。春は旅立ちと別れの季節です。

先日、息子が3年間学んだ中学校の卒業式に出席20150314見よ、わたしは新しい事をなす2しました。心身共に成長させていただいた我が子の姿を見て、胸が熱くなりました。そして卒業生だけでなく、保護者・在校生、先生方までもが涙を流しながら別れを惜しみ、門出をお祝いしてくれる姿を見て、またまた胸が熱くなったのでした。

かわいい子犬が、いつまでも子犬のままではないように、子どもたちも少しずつ成長して親元から巣立っていきます。それは一抹の寂しさを覚えることですが、一人一人が成長し、一人の人間として自立していくために必要なプロセスです。

卒業式の後の謝恩会で校長先生が紹介された聖書の言葉が心に響きました。


見よ、わたしは新しい事をなす。

やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。

わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。

(旧約聖書 イザヤ43:19 口語訳)


「新しい事」が始まるとき、それはこれまで慣れ親しんできたものとの「別れのとき」でもあります。別れは寂しいことですが、そこから荒れ野に道が開け、さばくに水が流れるような素晴らしいことが始まるときなのです。

新しい旅立ちをする人、それを見送る人、慌ただしさの中で様々な思いが行き交う季節です。神様が与えてくださった出会いに感謝しつつ、それぞれに与えられている道をしっかりと歩んでいきたいものです。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

「み言葉と食事を食べる会」のお知らせ

直前のお知らせになってしまいました。

本日、第二回「み言葉と食事を食べる会」が持たれます。

1週間を振り返り、ゆったりとして気持ちで語り合い、聖書の言葉を読み、おいしい食事をいただく会です。

とき:3月13日(金)17時~18時30分

ところ:セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会

皆さまのお越しを心よりお待ちしております。

 

(写真は前回の様子です)

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義の太陽が昇る

木々のつぼみに、道端に咲く花に、春の訪れの近さを感じる季節になりました。

春の日差しを浴びていると、イソップ童話の「北風と太陽」を思い出します。北風が、旅人の上着を力ずくで剥ぎ取ろうと吹きつけても、彼の上着を脱がせることはできませんでしたが、太陽が昇り、あたたかな日差しを注ぐと、旅人は自分から上着を脱ぎました。

外部からの圧力や操作で人の心を変えることはできません。しかし、誰かの優しさやあたたかさに触れたとき、変えようと思っても変えることの出来なかった心が作り変えられていく、そんな経験をさせられることが確かにあるのです。


 

しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには

義の太陽が昇る。

その翼にはいやす力がある。

あなたたちは牛舎の子牛のように

躍り出て跳び回る。

(旧約聖書 マラキ3:20 新共同訳)


マラキ書の「義の20150307義の太陽が昇る太陽」とは、救い主が与えられる約束の預言です。

義の太陽であるイエス様がわたしたちの人生にあたたかな日差しを注がれるとき、私たちの傷や悩みは癒されるという約束です。

厳しい冬の最中にあるとき、その約束を信じることは難しいかもしれません。しかし、空けない夜はなく、終わらない冬はないように、神様は約束されたことを必ず実現されるのだということを心の希望として歩んでゆきたいと願っています。

 

あなたの人生に、イエス様のあたたかい日差しが届きますように。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

  • 写真は、東京都檜原村の払沢の滝です。真冬には氷結するそうですが、春が近づき、勢いよく水が流れていました。

昼も、そして夜も

「本音の言葉」には人の心を打つ力があります。

詩編を読んでいると、特にそのように感じます。詩編記者は、苦しみの中から神様に向かって叫び、訴えています。「え?ここまで言ってしまっていいの?」と思うような本音の言葉を神様にぶつけている箇所がたくさんあります。そしてそれらの叫びの合間に、神様への讃美の言葉、信仰の言い表しの言葉がちりばめられているのです。

ときに神様を讃美し、またあるときには神様に苦しみを訴える。これが私たちの現実でもあろうかと思います。喜びも苦しみも、本音で神様にぶつけ続けた詩編記者が残した次の言葉に、ハッとさせられました。


昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです。

(旧約聖書・詩編74:16 新共同訳)


詩編記者がそうであったように、私たちの人生にも「昼」「夜」があります。光が届き、先を見通すことのできるときだけでなく、お先真っ暗に感じられる試練の夜にも、神様が共にいてくださることを聖書は約束しています。

物事が順調に進んでいるときにも、そして逆風に苦しむ試練の日にも「昼はあなたのもの、そして夜もあなたのものです」というこの言葉は、移ろいやすい私たちの心を神様に立ち返らせてくれる力を持っています。

セブンスデー・アドベンチスト甲府キリスト教会 牧師 伊藤 滋

  • 20150228昼も、そして夜もちょうど1年前の甲州街道・大垂水峠での写真です。今年はこのまま大雪にならずに春を迎えられるでしょうか…。