「あなたがたのために」

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」(聖書 ルカによる福音書 2:8-12 新共同訳)

 聖書に記されたイエス・キリストの誕生に関する記述で有名なものの一つが、羊飼いたちに起こった出来事です。

 救い主を心から待ち望んでいた彼らは、いつものように羊の番をしていました。そこに天使が現れて、驚くべきことを告げました。

 それが、「あなたがたが待ちに待った救い主がお生まれになった」という知らせでした。天使を見てしまったという恐れを感じた羊飼いたちでしたが、その喜ばしい知らせを聞き、彼らは行動を起こしました。

天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

(ルカによる福音書 2:15 新共同訳)

知らせを聞いただけではなく、その救い主に会いたいと思った彼らは、天使のお告げを信じて一歩を踏み出しました。

そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。(ルカによる福音書 2:16 新共同訳)

 クリスマスはイエス・キリストの誕生を記念し、その出来事に目を向けるひと時を持ちます。

 神様は、この救い主の誕生という出来事に目を向ける私たちが、改めてこの喜ばしい出来事を通して希望の光を得るようにと望んでおられます。

 私たちも、羊飼いたちのように、イエス・キリストという私たちの救い主にお会いするための一歩を踏み出しましょう。

 私たちのためにこの地上に来てくださったイエス様は、私たちがご自分のもとに来るのを待っておられます。

「もう一つの教育」

生まれた時から命の危険にさらされていたモーセさんは、神様の導きによってファラオの王女に拾われ命を助けられました。更には、実母が乳母としての役割を任せられ、ある年齢に達するまでは家族と共に過ごすことができる道が開かれました。

 そこまでの出来事が、聖書の別の箇所にも記録されています。

それは、ヨセフのことを知らない別の王が、エジプトの支配者となるまでのことでした。 この王は、わたしたちの同胞を欺き、先祖を虐待して乳飲み子を捨てさせ、生かしておかないようにしました。このときに、モーセが生まれたのです。神の目に適った美しい子で、三か月の間、父の家で育てられ、その後、捨てられたのをファラオの王女が拾い上げ、自分の子として育てたのです。(聖書 使徒言行録 7:18-21 新共同訳)

 そして、いよいよ家族のもとを離れ、エジプトの中心地であるファラオの王女のもとへと生活の拠点を移すこととなりました。

 そこでの生活についても聖書に記録されています。

そして、モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。(聖書 使徒言行録 7:22 新共同訳)

 実母のもとで信仰の教育を受けたモーセさんは、エジプトの中心地においてエジプトの王家の後継ぎとしての教育を受けることとなりました。

 モーセさんが受けた教育は、政治的なことや軍事的なことなど国のリーダーになるために重要な内容であり、高いレベルのものでした。

 しかし、その教育の中にはエジプト人の信仰する宗教に関するものも含まれていました。母から唯一の神様を礼拝することを教わってきたモーセさんにとって、エジプトの宗教を受け入れるということはできませんでした。

 本来ならば、エジプトの国を担う存在として赦されざることであったことと思います。しかし、モーセさんはそのような周囲の声やエジプトの教育を受ける中でも信仰にかたくたって歩んでいきました。

 そんな中、モーセさんはエジプトで苦しむ同胞を救い出すという使命を果たすために機会を伺っていました。

「信仰の継承」

男児をナイル川に投げ込めという命令の中、生まれた赤ちゃんを隠していた母親は、信仰を持ってその赤ちゃんを手放しました。

 水浴びのためにやって来たファラオの王女が川岸に置かれた籠を見つけ、ついにその赤ちゃんの存在がエジプト側に知れる時がやってきました。

開けてみると赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた。王女はふびんに思い、「これは、きっと、ヘブライ人の子です」と言った。 (聖書 出エジプト記 2:6 新共同訳)

 男児殺害という命令を出していたエジプトでしたが、決して全ての人がそれをよく思っていたわけではなかったことと思います。

 ファラオの王女もそのように憐みの心を持っていたのかもしれません。何よりも、実際に可愛い赤ちゃんを目の前にし、よりそのような思いになったことと思います。

 しかし、これが神様が計画しておられたことでした。そして、親子は次の作戦に移りました。

そのとき、その子の姉がファラオの王女に申し出た。「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」 (聖書 出エジプト記 2:7 新共同訳)

 母が直截出て行くのではなく、あえて姉を遣わして乳母を紹介させました。この計画も上手くいき、

「そうしておくれ」と、王女が頼んだので、娘は早速その子の母を連れて来た。

(聖書 出エジプト記 2:8 新共同訳)

 全て神様が導いてくださるという信仰を持って自分たちの命を狙う相手国の王女と接触した母娘に対し、王女から嬉しい言葉が返ってきました。

王女が、「この子を連れて行って、わたしに代わって乳を飲ませておやり。手当てはわたしが出しますから」と言ったので、母親はその子を引き取って乳を飲ませ、その子が大きくなると、王女のもとへ連れて行った。その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」

(聖書 出エジプト記 2:9-10 新共同訳)

 このようにして、期間限定ではありましたが、無事に家族と暮らすことができる道が備えられました。

 この期間、母はしっかりと息子に信仰を継承しました。これを通して、後にイスラエルの民をエジプトから導き出すための備えがなされていきました。

 そして、この赤ちゃんは、約束の時を迎えファラオの王女のもとへと出向くこととなりました。そして、モーセと名付けられエジプト人としての生活が始まりました。

「ナイル川へ」

エジプトの中で繁栄していくイスラエルの民は、神を畏れる2人のヘブライ人によって王の男児殺害命令から逃れることができました。

しかし、そんな中でも更なる命令がくだされました。

 ファラオは全国民に命じた。「生まれた男の子は、一人残らずナイル川にほうり込め。女の子は皆、生かしておけ。」(聖書 出エジプト記 1:22 新共同訳)

 この命令が出された渦中において、イスラエルの人々にとってとても重要になってくる存在がこの世に生を受けました。

彼女は身ごもり、男の子を産んだが、その子がかわいかったのを見て、三か月の間隠しておいた。 (聖書 出エジプト記 2:2新共同訳)

 生まれた男の子は、例外なく殺害命令の対象となっていました。しかし、何とかして命を救おうと存在を隠していました。しかし、長く隠しておくことはできません。そこで、母は信仰を持ってある計画を実行しました。

しかし、もはや隠しきれなくなったので、パピルスの籠を用意し、アスファルトとピッチで防水し、その中に男の子を入れ、ナイル河畔の葦の茂みの間に置いた。

(聖書 出エジプト記 2:3 新共同訳)

 母の計画は、息子をナイル川に連れて行くというものでした。しかし、それはファラオが出した命を奪うためにナイル川に投げ込むという命令に従うことではありませんでした。そうではなく、愛する息子の命を救うためにナイル湖畔へと置いたのでした。

その子の姉が遠くに立って、どうなることかと様子を見ていると、 そこへ、ファラオの王女が水浴びをしようと川に下りて来た。その間侍女たちは川岸を行き来していた。王女は、葦の茂みの間に籠を見つけたので、仕え女をやって取って来させた。

(聖書 出エジプト記 2:4-5 新共同訳)

 そこにやって来たのは、ファラオの王女でした。自分たちを苦しめる命令を出したエジプト側の人間です。見つかってしまったら命はないかもしれません。

しかし、母は神様が道を備えてくださるという信仰をもって、このファラオの王女が水浴びをする場所に息子を置いたのでした。

 これを通して、エジプトからイスラエルの民を救うための一歩が踏み出されました。

「神を畏れる」

虐待によってイスラエル人の勢力を弱めようとしたエジプトでしたが、彼らは増える一方でした。

 そこで、エジプト王は恐ろしい計画を実行に移しました。

エジプト王は二人のヘブライ人の助産婦に命じた。一人はシフラといい、もう一人はプアといった。「お前たちがヘブライ人の女の出産を助けるときには、子供の性別を確かめ、男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ。」 (聖書 出エジプト記 1:1516  新共同訳)

 生まれたそばから男児の命を奪う。これが、エジプトの作戦でした。将来戦力となりうる男児の命を奪うことで、イスラエルの力を弱めることができるからです。

 その計画を実行するにあたって、出産に立ち会う人間に殺害命令を出しました。しかし、この役割を命じられた2人は、命令に従うことはしませんでした。理由は明確でした。

助産婦はいずれも神を畏れていたので、エジプト王が命じたとおりにはせず、男の子も生かしておいた。 (聖書 出エジプト記 1:17 新共同訳)

 この2人は神様を畏れ敬う人たちでした。エジプトの王に逆らうことで自分たちも命の危険にさらされることがあるかもしれません。しかし、この2人が畏れたのは、エジプト王ではなく神様でした。

しかし、命令に反したことを隠すことはできません。当然、エジプト王の知るところとなりました。

 エジプト王は彼女たちを呼びつけて問いただした。「どうしてこのようなことをしたのだ。お前たちは男の子を生かしているではないか。」助産婦はファラオに答えた。「ヘブライ人の女はエジプト人の女性とは違います。彼女たちは丈夫で、助産婦が行く前に産んでしまうのです。」神はこの助産婦たちに恵みを与えられた。民は数を増し、甚だ強くなった。 助産婦たちは神を畏れていたので、神は彼女たちにも子宝を恵まれた。

(聖書 出エジプト記 1:18-21 新共同訳)

 神を畏れる2人は、神様の知恵によってこの難局を切り抜け、ヘブライ人の命を救ったのでした。そして、神様はこの2人をも大きく祝福されました。

 人間ではなく、神様を畏れる歩みによって、大きな祝福が与えられた出来事でした。